新1万円札の顔・渋沢栄一は北九州の発展にも足跡…門司港の基盤整備を支援、ゆかりの施設は今も残る
7月3日に発行される新1万円札の顔となる実業家・渋沢栄一(1840~1931年)は、北九州の発展にも深く関わっていた。その足跡からは、日本の近代化を見据え、発展途上の北九州を資金面から重点的に支援した「日本資本主義の父」としての一面が見て取れる。(若林圭輔) 【写真】安川敬一郎(国立国会図書館「近代日本人の肖像」から)
幅狭く潮流が速い関門海峡を、国内外の貨物船が頻繁に行き交う。明治以降、神戸、横浜に次ぐ国際貿易港として栄えた門司港の築港当初、基盤整備を資金面で支えたのが渋沢栄一だった。
渋沢栄一記念財団(東京)の資料によると、渋沢は生涯で約500の企業の設立や支援に携わり、北九州関連では10社の株主や相談役などを担った。九州鉄道(現在のJR九州)、大日本製糖大里工場(DM三井製糖)、若松築港会社(若築建設)など、北九州市には、渋沢が関わった企業にゆかりのある施設や事業所が今も残る。
渋沢が注目したのが、近代化の原動力となる石炭だった。1889年(明治22年)、筑豊炭田の石炭を国内外に輸送する国の特別輸出港に門司港が指定されるのを見越して、投資に乗り出す。
門司港の整備は、塩田を埋め立て、一から造成するという大事業だった。渋沢は整備を担う門司築港会社の大株主となったほか、初代門司駅(現JR門司港駅)を起点とする九州鉄道、洞海湾(若松港)を整備する若松築港会社、筑豊興業鉄道など、石炭の運搬やその基盤整備に関わる企業の株主に名を連ねた。
北九州市立自然史・歴史博物館の日比野利信・歴史課長は、「蒸気船や蒸気機関車の燃料、製鉄に不可欠な石炭を輸送するための基盤整備は、国家レベルの重要な課題だった」と指摘。「成長を見込んで投資したビジネスマンとしての側面もあるが、国全体の発展を考え、近代産業の確立に向けて積極的に関与したと考えられる」と話す。
「石炭と鉄の工業都市」としての北九州は、渋沢ら中央資本と、炭鉱で財をなした安川財閥の創始者・安川敬一郎(1849~1934年)ら、地元実業家との連携によって形作られた。同博物館には、渋沢が安川に宛てた書簡10通が残る。