令和6年度・講談社 本田靖春ノンフィクション賞、受賞作品発表! 「受賞のことば」と「選評」
知られざる日本を描く
原 武史/政治学者 私の専門である日本政治思想史の業界では、有名思想家を対象とする研究が盛んだ。しかしそれだけでは決して「思想史」にならない。ノンフィクションの業界でも有名な個人を対象とする著作が高く評価される傾向があるが、そうした傾向が続いてしまうと、結果としてフィクションでないもの=ノンフィクションの可能性や幅を狭めてしまう。 だからこそ今回は、あえてそうでない作品を選ぼうと思った。 『密航のち洗濯』が描き出したのは、これまでほとんど知られていなかった戦後史だ。敗戦の翌年、朝鮮半島の蔚山からある朝鮮人夫婦が決死の覚悟で海を渡り、山口県の「K村」に漂着し、山陰本線の駅から臨時列車に乗せられる冒頭の場面から引き込まれた。 なぜ夫だけが脱出して東京に向かったのかという疑問は残るものの、ほとんど残っていない在日一世の日記をもとに、現地取材を繰り返しつつ無名の家族の「戦後」を浮き彫りにした意義はきわめて大きい。 『ラジオと戦争』からは、徹底した取材を通して、戦時体制に呑み込まれていった放送人たちの生々しい「声」が浮かび上がってくる。これもまた、知られざる戦前、戦中期の日本を描く試みとして評価されるべきだろう。 ただ政治学者としては、日中戦争開戦後に時差をなくし、天皇が臨時大祭に際して靖国神社を参拝する午前10時15分、ラジオの時報を合図に植民地や「満州国」を含む全国で一斉に黙祷する「全国民黙祷時間」が設けられたように、「声」に還元されないラジオの役割もあったことを指摘しておきたい。 『正義の行方』は、冤罪の疑いの残る「飯塚事件」をさまざまな関係者に当たりながら検証しようとした作品だ。映画の脚本をただ活字にしただけではないかという批判もあったが、たとえそうだとしても、現時点でこの事件の複雑な背景を活字として残したことの意味は小さくないと思った。 「週刊現代」2024年9月14・21日合併号より
週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)