明治の「日本の工業化」こんなにも凄かった理由。地理と日本史を同時に学ぶことで見える視点
日本史と地理は、別々の科目として学びますが、多くの接点があります。『日本史と地理は同時に学べ!』を上梓した駿台予備校地理科講師の宇野仙氏が明治期の日本の経済発展の裏側を解説します。 【写真】『日本史と地理は同時に学べ!』(宇野仙)では、それぞれの時代を日本史と地理の両方の視点から解説 1868年の明治維新以降、日本は日清戦争で清を打ち破り、日露戦争ではロシアとも戦うほどの軍事力、工業力を身につけることができました。 そして経済面でも発展が進んだ明治の日本。「なぜこのような経済発展が可能だったのか」というのは、日本史の勉強をしているだけではなかなか理解しきれません。そこで今回の記事では、地理的な目線から、この経済発展のメカニズムについて皆さんにお話ししたいと思います。
■労働力を武器に安価な製品を量産 歴史的に見ると、発展途上国では、さまざまな手段で経済成長が遂げられてきました。 その手法の中に「輸出指向型工業化」と呼ばれる政策があります。自国の低賃金な労働力を背景にして、外国資本・外資系企業の誘致を行い、労働集約的な製品の生産・輸出などを行うことで、経済発展していくというパターンです。これは地理の授業でも教わる内容です。 もっと噛み砕いて説明します。ざっくりとした説明なので、厳密には違う部分があることもご容赦いただきたいのですが、先進国であるA国で、なんらかの製品が販売されているとしましょう。
企業としてはどんどん生産したいのに、この製品をA国の工場で作ろうとすると、生産のためにかかる費用が高くなってしまいます。A国はすでに経済発展していて、人件費や運搬などのコストが高くなってしまうからです。 そこでA国の企業は、隣国のB国で製品を作って、それをA国に売ります。B国はまだまだ経済発展していないので、賃金は安く、生産のためにかかるコストも安く済むわけです。B国の人にとってみれば、A国の技術を継承することもできますし、働き口もできますから、プラスの効果があります。このようにしてB国が経済発展していくことを、輸出指向型工業化と呼ぶのです。