かつて日本には「売血」や「血液銀行」があったって本当? 血液は高額で売買されていたの? 誕生から廃止までの背景を解説
時折、街中などで献血ルームや停められている献血車を見かけたり、実際に献血をしたりしたことがある人も多いでしょう。献血はいわば「血液の寄附」のようなものであり、奉仕の心で行うものです。献血する際には健康状態や体重測定など、軽い検査や測定などを行います。 かつての日本では、献血ではなく、売血するという時代があったことをご存じですか。本記事では、日本にあった「血液銀行」について解説します。
血液銀行は民間商業によるもの
1945年頃までは、輸血が必要なときに枕元輸血が行われていました。枕元輸血とは院内輸血とも呼ばれ、注射器で直接血液の提供者から採血し、検査などもしないまま患者に輸血する方法です。その後1950年、日本初の民間商業血液銀行が設立されました。 ・各地に民間商業血液銀行が誕生する 血液銀行は国営ではなく、民間商業のものとして日本各地に設立されました。提供者から採血し、輸血用血液を用意するところまでは献血と同じです。ただ、民間商業の血液銀行が採決した血は、銀行側が提供者から購入・保管していました。そして、血液を必要とする患者が、銀行が購入した血液を高額な費用をかけて手に入れて、輸血していたのです。 ・輸血された患者の間でウイルス感染などの問題が横行 当時、血液の提供者は低所得者層が多く、売血は高額な収入源になったことから、頻繁に売血する人が少なくありませんでした。その結果、提供者自身が貧血になったり、提供された輸血用血液の質が低下したりすることが大きな問題となったのです。採血前後の検査も十分ではなく、ウイルス感染している血液が患者に輸血されたこともあったのです。 ・黄色い血問題 血液銀行の血液提供者は何度も採血されているケースが多かったため、血球部分(細胞部分)が少なくなっていました。血中に残っているのは、黄色の血漿(けっしょう)部分(液体部分)ばかりで「黄色い血」と呼ばれていました。 血液銀行から高額な料金で購入しても、症状の改善につながるどころか、購入した血液を通してウイルス感染したケースもあったのです。黄色い血による輸血の影響が社会問題となり、1962年頃には黄色い血追放運動が行われました。 ・有料で採血することが完全に禁止されたのは1990年 「売血は何十年も前の話」というイメージがある人も多いかもしれません。しかし、実際に売血行為が完全に禁止されたのは1990年のことでした。売血が完全廃止された後は、無料である献血のみが可能となっています。 献血できるのは、体重測定、そのほかの測定や検査などを行ったうえで健康面での問題がないと判断された人のみです。また、献血された血液は、輸血される前にしっかり安全性を確認されます。