山梨学院エース・榎谷礼央を覚醒させた長崎の「清水さん」 センバツ
高校球児の上達は目覚ましく、時に指導者の想像を上回る速度で成長曲線を描く。関東を代表する投手の一人に成長した山梨学院のエース・榎谷礼央(3年)もその一人。「覚醒」のきっかけは、800キロ以上離れた長崎県の離島から届いたアドバイスだった。 ◇わずか3カ月で癖を解消 2021年11月2日、山梨学院は秋季関東大会の準々決勝で白鷗大足利(栃木)に七回コールド勝ちを収めた。この試合で被安打5、四死球ゼロと圧巻の無失点投球を見せた榎谷について、試合直後の吉田洸二監督(52)が口にしたのは意外な人物の名前だった。「榎谷が良くなったのは原因があって。大崎高校の清水さんです」 「清水さん」とは、21年春のセンバツに出場した大崎(長崎)の監督、清水央彦さん(51)を指す。吉田監督が清峰(長崎)で監督だった頃、部長としてタッグを組み、気心知れた間柄だ。 清水さんは人口約5000人の大島にある県立高の大崎で、部員5人の廃部寸前だった野球部を3年で甲子園初出場に導いた。特に、投手指導には定評がある。吉田監督は「多くの指導者は投手の課題が分かっても、改善方法が分からない。でも、清水さんは違う。アマチュア野球界で、投手指導において彼の右に出る人に会ったことがありません」と語る。 榎谷は2年春に初めて背番号1を背負ったが、春の山梨大会は準々決勝で敗退。5連覇を狙った昨夏の山梨大会も準決勝で敗れた。県内屈指の強さを誇ってきたチームとしては物足りない成績が続き、榎谷自身も責任を感じていた。 原因は明確だった。投球する際に踏み出す足が内側に入る「インステップ」で、投球フォームの軸が横振れする癖があった。ボールがシュート回転し、制球や球速アップの障壁になっていた。 山梨学院からの依頼で、榎谷の投球フォームを動画で見た清水さんは「フォームに柔らかさがある点は素晴らしかった。ただ、体が開く点はどうしても気になりました」と振り返る。自身の経験を踏まえて具体的なトレーニングメニューを提示した。 清水さんから教わった新フォーム改造への道のりは「そんなに大きく変わることはないだろう」と考えていた榎谷にとって、強烈だった。フォームに縦回転の意識を徹底的に植え付ける。ブルペンで投球する時は、左手でバットを持った。横から手が出ようとすると、バットが当たって壁になる。そのことで、強制的に縦回転を意識させたのだ。 「とにかく体重移動を前に、という意識でした。最初はあまりしっくりこなくて『これで大丈夫か』という感じでした」。榎谷は不安を抱えてのスタートだったが、秋の山梨大会を制してから関東大会までの3週間で体にしみこませた。 榎谷が関東大会で見せた投球は、圧巻の連続だった。1回戦で自己最速となる143キロを計測すると、「超攻撃野球」を掲げた浦和学院との準決勝で144キロに到達。進歩したのは、球速ばかりではない。これまではファウルを打たせるのがやっとだったカットボールで、相手打者のバットが空を切る場面が増えた。昨秋の公式戦は山梨大会から全9試合に登板し、防御率1・05、与四死球率1・67。抜群の安定感で、関東大会準優勝の立役者になった。 「明らかに腕が縦に振れるようになり、スピードも140キロを超えた。清水さんの指導を受けて、榎谷はめちゃくちゃ進歩しました」と吉田監督。素質は感じながらも「伸びるのは大学」と見ていた指揮官を驚かす成長ぶりで、プロ野球ドラフト候補に名前が挙がる存在になった。 吉田監督は「(榎谷は)冬を越えて、さらに成長していますよ」と不敵に笑う。「きっかけを与えただけ」と控えめに語る清水さんが差し伸べた救いの手は、春の甲子園に新たなスター候補を生み出した。【川村咲平】 ◇榎谷礼央(えのきや・れお) 浜松市出身。小学6年から本格的に投手を始める。中学は浜松シニア。祖父・鈴木詔彦さん、父・優史さんも浜松商(静岡)で甲子園に出場した経験があり、家族3世代出場となる。 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。