NPBだけで200勝はもはや不可能なのか?
11日のロッテ-中日戦で、中日の和田が通算2000安打を達成した。日本球界のみでの2000安打達成は2013年の谷繁以来で史上45人目の到達だった。近年2000安打到達者は増加傾向にある。90年代に2000安打を達成したのはわずか2人、それが2000年代には13人と一気に増加し、2010年代もすでに6人の到達者が生まれている。今後も楽天の松井稼や、広島の新井、巨人の井端などが到達する可能性がある。 一方、2000安打と並ぶ大きな節目の記録である日本球界のみでの200勝は到達者が激減している。最後の到達者である山本昌(中日)が200勝に到達したのは2008年、以来7年間誰も近づくことすらできていない。表1は200勝、2000安打を達成した選手のNPBデビュー年を年代別に集計したものだ。1950年代にデビューした選手ではほぼ同数の選手が200勝、2000安打を達成していたが、年代を重ねるごとに投手と打者の差が広がり、1990年代にデビューした選手からは1人の200勝投手も生まれていないのだ。
なぜ200勝投手は減ってしまったのか? もちろん野球の質が大きく変化したことは大きな原因の1つである。先発、ブルペンの分業制や、先発投手の中5日、6日でのローテーション制が確立したことによって1人の投手に勝ち星が集中する可能性は減り、1シーズンで20を超える勝利を挙げることは難しくなった。現在の状況で200勝を達成するためには10年以上にわたって先発投手として一線級の成績を残さなければならない。また、MLBへの移籍という選択肢が生まれたことも大きい。松坂(ソフトバンク)やダルビッシュ(レンジャーズ)、田中(ヤンキース)のように圧倒的な活躍をした選手は日本球界でのキャリアが10年弱となった時点で海を渡ってしまい、日本での勝ち星はそこでストップしてしまうのである。
もはやNPBだけでの200勝投手は誕生しないのだろうか?ここからはNPBで200勝の可能性について考えてみたい。現代の投手起用が確立した後で200勝を達成した投手が3人いる。1976年にデビューしほぼ先発投手として200勝を達成した広島の北別府と、20年以上にわたって一線級の先発投手として活躍した工藤(現ソフトバンク監督)と山本昌だ。彼らの年齢ごとの通算勝利数の推移が表2である。 北別府と工藤、山本昌の2人では勝ち星の重ね方に大きな差があるのがお分かりいただけるだろうか。北別府は21歳となるシーズンに初の2ケタ勝利となる10勝を挙げると以後11年連続で2ケタ勝利を達成、30歳になるシーズンを終了した時点で151勝を挙げていた。30歳を超えた後は10勝前後の勝ち星にとどまるシーズンが増えたが30歳までの貯金がものをいい35歳のシーズンで200勝に到達した。一方、工藤と山本昌は頭角を現すまでに時間を要し、初の2ケタ勝利を挙げたのはともに23歳のシーズンだった。その後も10勝に届かないシーズンがあり30歳の時点では工藤が102勝、山本昌が106勝と北別府のペースと比較すると大きな差があった。しかしこの2人は30歳を超えても勝ち星のペースが落ちず36歳以降も工藤が4度、山本昌が3度の2ケタ勝利を挙げ、勝ち星を伸ばし続けた。そしてともに41歳のシーズンで200勝に到達している。