クローン人間の姿を通して命の価値を問う「徒花-ADABANA-」
世界はあると思えばあるし、ないと思えばない
同じDNAを持ちながらも、暮らした場所や周囲の環境、育んだ価値観で全く別々の人間ができあがる。どちらが優れていて、どちらが劣っているのか。そんなことを考えるのはナンセンスであり、なんの意味もないことはわかっている。しかし、未知のウイルスの蔓延やクローン技術の進歩など、今の私たちの生活の延長線上のような世界を舞台にした物語は、全くの絵空事でもないのではないか、そんな気もしてくる。 本作を生み出した甲斐監督はインタビューの中で、「今を生きている人たちは、自分という“器”をいっぱいにしていないといけないような気がしてしまっている部分があると思うんですけど、無理にいっぱいにしなくていいじゃないかと。無理に何かを詰めなくても充ちているんだよということを“それ”を通して伝えられたら」と語っている。確かに、多すぎる情報や承認欲求であふれた現代を生きる私たちは、何をそんなに必死で埋めようとしているんだろう。寂しさか、虚しさか、はたまた違う何かなのか。 タイトルの「徒花」とは、咲いても実を結ばずに散る花、“無駄な花”を意味している。次の世代につながらずに散っていく花に存在意義はないのだろうか。自らのクローンと対面し、苦悩する新次を眺めていると、「自分のありのままを受け入れる」ということの大切さをあらためて考えざるを得ない。一方で、もがき、苦しみ、苦悩することこそが人間であり、人間の美学なのではないかとも思えてくるのだ。 文=原真利子 制作=キネマ旬報社
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