80年前の震災の教訓を若い世代へ「一番大事なことは自分の命を守ることです」
心動かされた藤城さんは、亡くなった児童を慰霊する実行委員会を立ち上げ、地震の日に在学していた人たちに、寄付と体験談の投稿を呼びかけました。すると、卒業生の間に、協力の輪がどんどん広がっていきます。50年の節目には記念碑の序幕式を開いて、体験談の文集を発行することが出来ました。 その直後、1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こります。防災への関心が今まで以上に高まってきたタイミングで、母校の袋井西小学校から、藤城さんのもとへ依頼が入りました。 「今度ぜひ、児童の前で、東南海地震の体験を語っていただけませんか?」 藤城さんたちは、「二度と学校で犠牲者を出さない」という思いを込めて、紙芝居を作り、後輩の児童の前で体験談を語り始めました。 それから30年、いまも藤城さんたちは、毎年、地震のあった12 月7日に合わせて、袋井西小学校を訪ねて、小学5年生に体験談を話しています。子供たちからの質問は、年を追うごとに高度なものとなっています。いまの子どもたちが防災をよく学んでいることに、藤城さんも感心するといいます。 一方、実行委員会のメンバーは80歳から90歳代、耳が遠くなった方も増えてきました。それでも藤城さんは、きっぱり「頑張れるだけ、頑張ります!」と話します。 「南海トラフ地震は、1944年の東南海地震の前が、1854年の安政の大地震でした。2つの地震の間は90年しかなかったのに、私たちは地震を忘れてしまっていたんです。次こそは何としても、地震の経験を語り継いで、被害を最小限に食い止めたいんです」 80年前の校舎倒壊で助かったのは、無意識のうちに机の下にもぐって、自分の頭を守ることが出来た人たちでした。藤城さんは毎年、防災訓練に臨んだ子供たちを前にこう話しています。 「一番大事なことは自分の命を守ることです。生きていれば、何とかなります」