今も「世界最高リムジン」は過言じゃない! ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(1)
ロールス・ロイス最後の社外ボディの1つ
ロンドンの南東、ブロムリー地区に拠点を置いたジェームズ・ヤング社は、デザイン番号980が振られたパークウォード社の7シーター・リムジンと並行し、当初からツーリングリムジンを提供した。戦後で最もエレガントだと、高く評価を集めるボディだ。 メルセデス・ベンツ600 プルマンやキャディラック・フリートウッドなど、同時期にはいくつかのリムジンが作られている。しかし、この威風堂々とした佇まいに匹敵する例は、存在しなかったといっていい。 後に、マリナー・パークウォード社も独自のツーリングリムジンをデザイン。競合するボディを生み出してはいるが、6台を製造したところで断念している。 英国には複数の名門コーチビルダーが存在した。しかし、自動車の進化とともに数は減少。名門のフリーストーン&ウェッブ社やフーパー社は倒産し、パークウォード社はHJ.マリナー社と同時にロールス・ロイスへ吸収され、お抱えコーチビルダーになった。 その結果、ジェームズ・ヤング社はロールス・ロイスのシャシーへ特別なボディを架装する、唯一の独立したコーチビルダーに。そしてファントムV リムジンが、ロールス・ロイス最後の社外ボディの1つになった。 ジェームズ・ヤング社はPV15リムジンと、ルーフラインが低いPV22ツーリングリムジンと呼ばれる2種類のほか、オーナー自らの運転を想定したサルーンもデザイン。約6mあるシャシーのために、巨大な2ドアサルーンも2台生み出している。
ロールス・ロイスのラインナップで最高額
PV22の内、SDセダンカ・ドゥヴィルと呼ばれるボディは10台が作られ、最後の2台にはリア側にフーパー社風のクオーターウインドウが与えられた。このデザインに対し、ジェームズ・ヤング社はフーパー社へ1台25ポンドの使用料を支払ったという。 1965年には、そのウインドウは標準装備に。PV15はPV16へ、PV22はPV23へ、後期型ではスタイル名が改められている。 ドアの隙間は極めてタイトで、インテリアには見事なキャビネットが設えられた。ドアハンドルの四角いボタンに至るまで、仕上げには徹底的にこだわられた。 ヘッドライトは当初2灯だったが、後期型のPV16では4灯へ。エンジンは、SUキャブレターが載り圧縮比が高められた、シルバークラウドIII用のV8ユニットへ置換された。パワーステアリングも、アップグレードを受けていた。 1966年仕様のファントムV ジェームス・ヤングは、マリナー・パークウォード・ボディより250ポンド高く、当時のロールス・ロイス全ラインナップでの最高額に据えられた。1965年のフェラーリ500 スーパーファストは、更に2000ポンド高かったけれど。 この続きは、ロールス・ロイス・ファントムV ジェームズ・ヤング(2)にて。
マーティン・バックリー(執筆) ジャック・ハリソン(撮影) 中嶋健治(翻訳)