【内田雅也の広角追球】新しい高校野球を求めて――プロ審判学校に「審判委員」が初参加(下)
高校野球審判が初参加したNPBアンパイアスクール(12月20~22日)期間中、意見交換も盛んに行われた。 日本高校野球連盟・尾崎泰輔審判・規則委員長(58)は案件の一つとして、高校野球でも導入が論議されているビデオ判定(リプレー検証)をあげた。有識者による「高校野球7イニング制に関するワーキンググループ(WG)」のなかで検討が進められている。ただ、甲子園球場での全国大会は全試合テレビ中継映像があるが、地方大会ではカメラが備わっていない球場が多い。日本高野連の宝馨会長は「賛否両論ある」としている。 日本野球機構(NPB)の森健次郎審判長(60)は「審判員が見るのと同じ映像を場内でも放映する。微妙な判定でも観客の方は納得してくれる。審判員の心理的負担の軽減になる」と助言があった。 プロ野球では今季も暴言や暴行による退場者はゼロだった。退場は頭部死球による投手の危険球退場だけだ。高校野球でも起きる判定を巡るトラブルを減らす方策になると言えるだろう。 また、高校野球の監督には規則上認められている抗議権がない。当該選手か主将が「伝令」として審判に質問する。高校野球特別規則である。 監督はベンチを出ることが許されず、時に伝令の選手が審判と監督の間を行き来する光景がみられる。 森審判長は「監督が直接抗議した方がスピーディー、円滑に物事が進む」と話した。 同様に監督に背番号がないのも高校野球だけだ。大リーグやプロ野球はもちろん、社会人、大学、少年野球など世界的にみても特殊である。 100年以上前の大会の成り立ちが今に影響しているようだ。1915(大正4)年、豊中で全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)が始まった際、ベンチ入りは引率教員と選手11人だけだった。生徒主体の大会に大人がベンチに入るのはよくないとの考えがあったとの文献が残っている。 だが、スタンドからOBなどの大人が作戦などを指示する光景が見られたことから、1923年にはコーチ(今の監督)のベンチ入りが認められた。当初はワイシャツにズボン姿で、ユニホームも着用していなかった。 これまで書いてきたように高校野球の審判は「審判委員」と呼ぶ。大会運営の一員なのだ。 また「グラウンド・ティーチャー」としての使命感がある。長く日本高野連会長だった佐伯達夫氏(故人)が「グラウンドという教室で先生となれ」と諭し、「高校野球は教育の一環」と徹底してきた。高野連会長は春夏の甲子園大会で「大会審判委員長」を務める。 ただ、監督がベンチを出て審判に抗議したり、選手交代を告げたりするのはルール上認められた行為だ。U―18高校日本代表の監督は国際試合で指揮を執る際、初めてベンチを出て、マウンドに歩んで投手を激励したり、交代を告げたりする。戸惑う監督もいる。国際化が進むなか、高校野球だけが特別な世界にいていいのかどうか。 日本高野連顧問で野球の歴史に詳しい作家、佐山和夫さん(88=野球殿堂入り)は「高校野球は世界遺産」と主張している。「学生野球から始まった日本の野球は、フェアプレー、チームワークなどの点で本場のベースボールを超えている。甲子園大会は世界遺産にすべきだ」 世界でも類を見ない美点を備えた高校野球の精神は守っていきたい。それでも、国際化や時代の流れから、変革期にきているのは確かだろう。 森審判長は「高校野球の事情も理解した上で、われわれはいつでもウエルカムの姿勢でいる」と今後の交流、協力を約束した。尾崎委員長は「高校野球だけが異なる野球をやっている、と言えばそうかもしれない。それでも多くの人びとに受けいれられている。今後も広く深く学んでいきたい」と前を向いた。 (編集委員) ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。85年入社以来、野球記者一筋40年になる。アンパイアスクールでは、受講生が正しい判定を下す度、NPB審判員をはじめ、全員から拍手と歓声がわき上がっていた。同志をたたえる光景は日本野球の美点が見えた気がした。