30年以上前の楽曲がアメリカで大流行。その背景から見えてくる、Z世代が抱える過酷な現実。
なぜ30年以上前の楽曲が、再び脚光を浴びたのか?
朝起きるとすぐにスマホをタップしてSNSアプリを立ち上げる。そこに並んだ投稿や動画を見て、怒ったり、悲しんだり、喜んだりする――私たちの生活の奥深くにSNSが浸透するようになってすでに数年が経ちました。 そしていまやSNSは、政治や経済にすら巨大な影響を与えることも明らかになってきています。社会について考えるためには、SNSの動向を追うことが必須となっているのです。 SNSと社会の関わりの現在地について、アメリカの事例を参照しながら、その最前線を教えてくれるのが、ライターの竹田ダニエルさんによる『SNS時代のカルチャー革命』という本です。 著者の竹田さんは、アメリカで理系の研究者として働くとともに、アメリカのカルチャーの最新事情を継続的にレポートし、日本に紹介しつづけています。 たとえば同書がレポートするところによれば、2024年のアメリカでは、30年以上前の楽曲である「Fast Car」が大流行したとのこと。その背景には、アメリカのZ世代が直面している厳しい現実が透けて見えると言います。同書より引用します(読みやすさのため、改行位置を変更するなど一部編集しています)。 <2024年2月4日、第66回グラミー賞授賞式がロサンゼルスで開催された。大スターたちが集まり、豪華絢爛なパフォーマンスが披露され、様々なドラマが巻き起こった中で、最も注目されたと言っても過言ではないのが、トレイシー・チャップマンとルーク・コムズのコラボレーションステージ、そしてそこで披露された「Fast Car」という曲だった。 元々は1988年にトレイシー・チャップマンによってリリースされたこの曲は、2023年カントリーシンガーであるルーク・コムズがカバー曲をリリースしたことで、再び大ヒット曲となった。ビルボード・ホット100チャートで2位を記録し、グラミー賞の最優秀カントリー・ソロ・パフォーマンス部門にもノミネートされた。ヒットチャートのポップスを流すようなラジオ番組でも頻繁にかけられるほどの人気となり、Z世代の間でも広く知られるようになった。 チャップマンにとって2020年以来の「奇跡のステージ」としても話題になった今回のパフォーマンスだが、この曲が今再び注目される理由についてもインターネット上で熱く議論された。> <この曲が現代の若者たちに愛される理由として、元々リリースされた80年代においては、レジ係の給料でもシェルターを抜け出して郊外に家を買って、新たな人生を切り拓くことができた、しかし現在のアメリカの景気ではそんなことは無理、だから今は存在しない「希望」がノスタルジックで魅力的なのだ、という意見のポストがXで広く賛否両論を呼んだ。 その投稿は現在削除されているが、このような解釈をする人は少なくない。特に、白人男性の解釈でよくあるパターンだと指摘されている。原曲を書いたトレイシー・チャップマンは黒人女性で、彼女の曲にはアメリカに対する「諦め」や「絶望」が強く描かれている。もちろんその背景には、黒人女性が受けてきた社会的抑圧や差別が反映されている。加えて当時のレーガン政権下では貧富の差が広がったと言われており、救いようのない貧困に苦しむ女性の姿が、非常にリアルに歌われている。 この曲にはノスタルジックな「希望」ではなく、世代を超えて引き継がれる貧困や家族のアルコール依存症問題、そして男性のケアを任される女性の窮屈で逃げ出せない日常が描かれているのだ、という主張が先ほどの意見とぶつかり合った。 アメリカでは、この曲が初めて世に発表されてから30年以上が経ってもなお、「アメリカンドリーム」がいかに噓で、格差がいかに制度的な問題であるかを人々は日々実感させられている。数年前からIT企業を中心に大量のレイオフが続くなどの雇用問題が起きており、「いくら面接しても仕事がもらえない」「大学を卒業しても低賃金の仕事すらもらえない」「仕事をしても家賃が払えない」「いくら働いても安定した老後がない」「働いても一生家が買えなくて実家で暮らすしかない」という状況に直面している若者が非常に多い。このような労働環境において、「Fast Car」が描く「失われた希望」に共感する人々が、グラミー賞でのパフォーマンスに胸を打たれたのだ。> <Z世代を取り巻く労働環境や雇用状況については、様々な問題が次々と浮き彫りになっている。2023年10月には、大学を卒業して9~17時の仕事に就いたけれど、職場に行くまで電車の時間がかかるし、家に帰っても疲れていて寝る以外の時間はほとんどないし、こんなの一生やっていかなきゃいけないなんて無理じゃない? といった趣旨の投稿をしたZ世代のブリエル・アセロ(@brielleybelly123)のTikTok動画が大きな話題になった。「これが現実なんだから我慢しろ」「生ぬるいこと言うな」「これが大人ってもの」と主に保守派の大人たちに馬鹿にされ、FOX Newsにまで動画を使われて揶揄された。 しかし、実際にこのシステムは人間を苦しめるし、今の資本主義はZ世代にとって悪でしかないのだ。果たして大人たちの冷笑は未来を良くするだろうか? 自由な時間を失った若者の精神的ストレスは膨大であり、仕事を優先するために社交や趣味の時間がとれない人生はとても悲しいものだ。Rolling Stone紙の取材で、投稿主のブリエル・アセロはこのように語っている。 [Z世代は]給料が低く、生活費が高い中で、上の世代と同じように懸命に働いている。〔……〕週休2日制[が導入された頃]は、配偶者のどちらかが家にいて、精神的な負担や食事、子供の世話をすることで家族を養う余裕があった。しかし、今はほとんどそうではない。(※1) 他にも、2024年1月に@lohannysantというアカウントが投稿したTikTok動画は、大学で二つも学位をとってアメリカンドリームを信じていたのに、毎日履歴書を持って歩き回っても、どこも新規で人を雇っていないと断られてばかりで挫けそうだと嘆き、2月7日現在2300万回以上再生されている。仕事のオファーがもらえたとしてもバリスタの仕事で、18時間ものトレーニング(無賃)が必須だという。コメント欄は、同じ状況であることを共有する人たちや、今のジョブマーケットがいかに異常かについて共感する人たちでいっぱいだ。 彼らももちろん、簡単に仕事がもらえて当たり前だとは一切思っていないけれども、多額の借金を抱えて大学を卒業しているのにもかかわらず、そして家賃や物価がどんどん高騰しているのにもかかわらず、どの業界も採用はおろか、返事すらわずか数%の応募者しかもらえず、面接にさえ辿り着けないと言われているのが現実だ。私の周りでも、世界1位の公立大学であるカリフォルニア大学バークレー校を卒業している友人たちでさえ、メディアやテック業界というかつては「花形」だった業界でレイオフされたり、理系の修士号を持っていてもなかなか面接まで辿り着けないという人が大勢いる。>
竹田 ダニエル(ジャーナリスト、研究者)