父の背中を見て…春の選抜大会に初出場 酪農、漁業の町 北海道別海高校ナインに迫る「進路選択」
父の背中を見て、大志を抱く。 ショートで出場した影山航大もまた、中道と同じくいずれは家業を継ぐと決めている。 「自分は小さいときから『継ぎたい』って親に話をしていて。今は大学とか、できるところまで上のレベルで野球を続けて、それから継ごうかと考えています」 生乳の生産量が日本一の「酪農の町」別海町の隣。中標津町にある「影山牧場」で生まれた影山は、東京ドーム約12個分に相当する、総敷地面積およそ60ヘクタールの広大な自然で牛とともに育った。 臆病といわれる牛の性格を見定めたり、飲み込んだ草を反芻する回数を調べたり。時には牛舎で仔牛と一緒に寝てしまうほどだった少年は、「野球と酪農を両立させたい」と地元を離れて別海で寮生活することを選び、野球部で唯一、酪農経営科を専攻している。 高校から本格的にショートを守る影山にとって、酪農実習が多い高校1年生の期間は練習の遅れを取り戻すことで精一杯だった。最初は「みんなと同じ普通科に行けばよかったかな」と後悔がよぎることもあったが、「将来のことを考えたら、今から学べることは学んだほうがいい」と納得できている。 1年秋からショートのレギュラーに定着した影山は、2年生になると監督の島影隆啓が標榜する「守りからゲームを作る野球」における中心的な役割をこなした。バッティングでも上位打線を担うなど、攻守ともにチームの甲子園出場を支える存在となった。 父の健一さんは息子たちが成し遂げた快挙に、「こんな小さな町の小さな高校が、甲子園に行くなんて」と、ただただ嘆息を漏らす。 午前と午後、1日に2回を基本とする牛の搾乳が欠かせない酪農家には、明確な休みがない。したがって、休暇を取る際には酪農ヘルパーと呼ばれる外部の専門家に依頼することとなるのだが、「半年から1年前の予約」が当たり前であるため手配が容易ではない。 健一さんは「ゲン担ぎじゃないけど、1月26日に出場が決まってから手配したから、なかなか大変でしたよ」と、思い出に笑う。 「息子が農業を継ぎたいと言ってくれていても、自分は『野球をやってほしい』と思って高校に送り出していたくらいだから。でも、まさか息子が甲子園で試合をするところが見られるなんて、思ってもいなかったんでね」 影山牧場の3代目である健一さんは、自分がそうだったようにひとり息子にも〝4代目〟を無理に継がせるつもりはないのだという。 息子が自らの力で勝ち取った、「甲子園」という成功体験を生かしてあげたいと言った。 「自分も親から『やりたいなら、やったら』くらいだったから。自分が何をやりたいかなんて、実際にその立場になってみないとわからないわけだしね」 影山は親の心を知っている。それでも、初志は貫徹する。想いは、子供の頃からひとつ。 「親がやっている酪農の仕事が好きなんで」 今は野球。そして、将来は親の仕事を継ぐ。 中道と影山。ふたりにとって、それは何よりも大事で、好きなこと。 続編記事:『「必ず継げとは…」牛が人口の8倍 酪農の町から甲子園球児になった息子と親で進路を巡る交錯する思い』に続く 取材・文・写真:田口元義 1977年福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。『Number』(文芸春秋)を中心に、雑誌を中心に活動。著書に「負けて見ろ。聖光学院と齋藤智也の高校野球」(秀和システム)「9冠無敗能代工バスケットボール部 熱狂と憂鬱と」(集英社)などがある
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