フリーアナウンサー・神田愛花『オリンピックがくれたミスチルとの時間』
オリンピック真っ只中! 4年に一度のタイミングなので、今回は私のオリンピック関連の思い出をご紹介したい。’08年、北京オリンピックが開催された年の冬、12月30日の出来事だ。 【画像】個性あふれる神田愛花さんの直筆イラスト(1回~59回)はこちら 私は紅白歌合戦のラジオ実況の紅組の司会を担当していて、NHKホールでの全体リハーサルに出席しながら、翌日に迫った本番の実況コメントの作成に追われていた。この年の注目はNHKの北京オリンピックのテーマソング『GIFT』を歌う、初出場のMr.Childrenだった。 熱心なファンが多く、私レベルでは認められない気がして公言していないが、実は、中学の時からミスチルファンだ。アナウンサー試験のエントリーシートの″好きな曲は?″という項目には必ず、彼らの曲『終わりなき旅』を記入していた。理由は、「歌詞にとても勇気をもらっているからです」。「じゃあ歌ってみて?」と言われて素直に歌った面接はすべて落ちたが、それでもその後の人生では、ずっとこの曲から勇気をもらってきた。そう、ミスチルがいなかったら今の私はいないのだ。 そのミスチルが初出場する紅白で、私がラジオ実況担当だなんて奇跡!なにがなんでもお姿を目に焼き付けたいし、歌声を耳に染み込ませたい。だがミスチルは別のスタジオからの出演だ。このままホールのリハーサルを見続けて本番を迎えていたのでは、桜井和寿さんには一秒もお目にかかれない。しかもミスチルがどのような演出で初出場を果たすのか、本番まで情報が漏れないよう、リハーサルの詳細は紅白実行本部のごく一部の人にしか知らされていなかった。 (どうにかならない!?)と周りを見渡すと近くの机にポンッと、中枢スタッフ用の資料が置かれていた。目を見開いてグーッと見ると……(あった!!)。なんと、そこにはミスチルのリハーサル時間が書いてあったのだ。 (行かなければ!)。先輩アナウンサーに、「お手洗いに寄るので、先にアナウンス室に戻っていてください」と伝え、高ぶる気持ちがバレないよう、一歩一歩地面を踏み締めながらその場を離れた。 スタジオへ続く廊下には、案の定「この先、関係者以外立ち入り禁止」の張り紙が。そんなことは百も承知だ。(私はラジオ司会者で正当な関係者だ)と自分に言い聞かせ、当たり前の顔をして堂々と突き進んだ。そしてスタジオに到着。この時はもう、(もしこれでクビになっても、そもそも桜井さんに勇気をもらっていなかったらNHKに入れていないんだから、構わない!)と思うまでに。あと少しで桜井さんに会えるという現実が、私から正気を奪っていた。 ◆憧れの人が20m先に…… 中へ入ると早速、数人の技術さんが「ん?」という顔で見てきたが、笑顔で「お疲れ様ですぅ」と返し、クリア。次に知り合いのディレクターさんが近寄ってきたが、こちらから「リハですね!」と声をかけると、「おぉ神田!そうか、ラジオのコメント作成ね?あそこから見るといいよ」とのこと。 「了解ですぅ」とクールに返しながら、心の中では(よっしゃー!! 許可が出た!)と絶叫。これでオールクリア。言われた場所に行った。そしてついに……いらっしゃったのだ。私から20mほど離れた白い台の上に、立っていた。後ろから強い照明が当てられていて逆光になっているのか、彼のオーラが眩しすぎて逆光に見えているのか、わからなかった。でも真っ黒なその人の肩のラインが、確実に桜井和寿さんだった。リハーサルがスタート。私はどんな顔をしていたのだろう。ちゃんと呼吸はしていたのだろうか。実際の倍くらい長い時間に感じたが、記憶がない。移りゆく照明の合間にお顔がしっかり見え、涙が溢れた。(生きていてよかった。頑張ってきてよかった。両親に、そしてNHKに感謝だ……)。多方面への深い感謝がブワッと湧き、人生を中締めした気持ちになった。 この出来事のおかげで、オリンピックというイベントは競技を通してはもちろんのこと、終わった後でも、想像もしなかった場所やカタチで感動を与えてくれると知った。寝不足になって辛い日もあるが、パリオリンピックも楽しみたい。そして″報道番組のキャスターになる″という夢が叶った暁には、自分の言葉でその感動を伝えたい。 かんだ・あいか/1980年、神奈川県出身。学習院大学理学部数学科を卒業後、2003年、NHKにアナウンサーとして入局。2012年にNHKを退職し、フリーアナウンサーに。以降、バラエティ番組を中心に活躍し、現在、昼の帯番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)にメインMCとしてレギュラー出演中 『FRIDAY』2024年8月16日号より イラスト・文:神田愛花
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