なぜ日本に「マンガ・アニメ文化」が生まれ育ったのか(上)
電車に乗っていると、スマートフォンでマンガを読んだり、アニメを見ている人をしばしば見かけます。年齢、性別問わず、多くの人に愛されている文化であることを実感させられます。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、マンガやアニメについて「日本文化の特異点ともいうべき存在」と指摘します。なぜ、日本で「マンガ・アニメ文化」は花開いたのでしょうか。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
日本文化はファンタジー
昨年はマンガ家のさくらももこさんがお亡くなりになり、今年は京都アニメーションの不幸な事件があった。 だいぶ前、知り合いのアメリカ人に「日本はファンタジー文化の国だ」と言われたことがある。その時は「そういう見方もあるのか」といった程度だったが、昨今のマンガ、アニメに加えて、コンピューターゲーム、ゆるキャラ、コスプレといった文化現象を見ると、その「ファンタジー文化」という言葉に実感が湧いてくる。またそれが最近話題のスマホ依存症にもつながっているように思える。ここでそういったものを総称して「マンガ・アニメ文化」とし「なぜ日本に『マンガ・アニメ文化』が生まれ育ったのか」という問いを立てみたい。 少し前、本欄に「なぜ日本に『天皇』という文化が生まれ育ったのか」という記事を書いたが、今や「天皇」と「マンガ・アニメ」は、日本文化の二つの特異点ともいうべき存在であり、それが日本文化の基本的な性格(ファンタジー)をなしているような気がするのだ。 まず、マンガを小説の代替えと考えたり、アニメを実写映画の代替えと考えたり、それらを子供のものだと考えるのはまちがっている。マンガとかアニメというものは、文字や実写以上に作者の意図を伝えやすく、また受け手の想像力を喚起しやすいものだ。たとえば建築空間を図面や絵でなく言葉で伝えるのは不自然であり、物語がもともとフィクションであるなら、生身の人間より絵の方が自由でいいともいえよう。偏見をとりはらって考えたい。