バングラデシュ出身のマザーハウス新取締役に聞く 「私たちのために働く日本人女性への感動」で日本企業に転職
絵理子さんはバングラデシュから何かを産み出そうと考えている人でした。「日本人の彼女がバングラデシュのために動いているのに、バングラデシュ人の僕が何もしないわけにはいかない」と感動したんです。当時僕は国内最大のレザーバッグ工場で働いていたし、マザーハウスはとても小規模な企業だったけど、会社のフィロソフィーに共感したうえに、ファッション産業に関わりながら国のために技術者として働きたかったから、大企業という“コンフォートゾーン”を抜け出すことに決めたんです。
WWD:働き始めた当初、困難だったことはあるか。
マムン取締役:絵理子さんや日本人を知ることでした。前の工場で働いていたころ、周りのバングラデシュ人が「日本製品は複雑だし、検査も厳しい」「日本人は批判的」と口々に話すのを聞いていました。一つのバッグを作るにしても、使い心地やフィッティングなどの多くの要素を考えなくてはならないからです。ただ、実際に作ってみると、製品自体はそんなに複雑ではなかったし、そもそも日本は細部に価値を見出す文化を持っているだけで、日本人が批判的なわけではないと分かったんです。
また、絵理子さんも「成功するまでやってくれていいですよ」とフレキシブルな働き方を許してくれたので、失敗を恐れずに新規レザーの開発なども進められました。アメリカもヨーロッパも日本も、どの国も独自の文化を持っている。そこに適応するには、自分たちの考え方を変えればいいと思うようになったんです。
WWD:工場長を務めるにあたって大切なことは?
マムン取締役:工場ではたくさんの人が働いています。役職もスキルも様々なので、みんなで協力しなければ製品は生まれない。だから、従業員にチームワークの大切さを知ってもらうことを意識しています。マザーハウスはバングラデシュのために事業をしていて、ただの製造企業ではない。僕たちは社名が意味するように“第2の家”の一員、つまりファミリーなんです。僕が相互理解を大切にしているからこそ、現在まで8割の従業員が辞めずに工場で働き続けてくれているんだと思っています。