『泥だんご』著者、松嶋 圭さんインタビュー。「小説の奥にある、意味や真実を考える」
「小説の奥にある、意味や真実を考える」
精神科医でもあり作家でもある松嶋圭さんが5年ぶりに新作を書いた。 『泥だんご』というタイトルのこの本は、陶芸家や画家、竹細工作家など、物を作る15人との対話を収めた小説集だ。きっかけは知り合いのギャラリスト(美術商)だった。 「その方が静岡に住むある画家の女性を訪ねるというので、誘ってくれたのが最初です。で、実際にお会いすると、物を作る人たちは皆さん人間味があって言葉も面白く、その対話をまとめることには何か意味があるのではないか、という思いを次第に強くしました」 夢の話、UFOの目撃談、イタリアの葡萄のこと、画材の天然顔料について……15人の口から飛び出す思い思いの言葉の断章は、何の脈絡もなく並べられているようだがこれはルポルタージュではない、見えない芯に貫かれた、一編の小説として立ち上がっている。 【写真ギャラリーを見る】
「話の内容だけではなく、彼らと一緒にいる時の空気感みたいなものも表現ができればと思いました」 そのために、小説に付きものの説明の文章を極力排した。 「わかりやすくすることで逆に失われてしまうものがあるのかなと」
振り返ってみたら、星座のようだったらいい……。
自分の考える小説観はそのまま人生観に近い、と松嶋さんは語る。 「人はなぜフィクションを求めるかと言えば、物語や登場人物などの表層的なものだけでなく、その奥にある意味や真実、自分はなぜ生きるのか、といった実存的な答えに出合いたいからなのだと思う」 そのためには小説は開放されているべきだ。なるべく隙間を埋め尽くさないように。読み手に多く委ねられる部分があるといい。 「精神科医は患者さんの話を聞くのが仕事。こうだからこうしたほうがいい、と教条主義的に押し付けるよりもそのほうが人は自身と向き合うことができる。治療も作品もそういう部分が大切と思っていて」 15人の断章も“聞き書き”をベースに創作をした。聞きながら、作家は自分の心が動くのを感じた。第二章の全てを割いて書いたアーティスト・小林健二さんの存在は強く印象に残った。曰く対人恐怖症で、デルカップが手放せず、古代文字、宗教、宇宙、鉱物と話題は多岐に及び、一度話し出すとこれも本人曰く、キリがない。 「絵画を中心にしながら立体の作品や写真などいろいろな表現活動をされる方で、いつか自分の最後の日が来たら、これまでの細々とした活動の切れ端が、振り返ってみれば一つの星座のようになっていたらいいとおっしゃっていて、その言葉が強く心に響きました」 現実の生活、平凡な日々の重なりと見えて、深層にはその人なりの一貫した意味があるはずだ。小林さんの場合はたまたま創作を睨んだ発言だが、星座の喩えはきっと誰の人生にも置き換えられる。 聞き書きを一冊の小説に仕上げるにはそれなりの時間を要する。 「自分も50歳。急がず、じっくり熟成したようなものが書ければ」