アルージ・アフタブが語る、グローバル・ミュージックの定型に縛られない「余白」の美しさ
美しさと余白、そして選択
―バークリー音大でプロダクションとオーディオ・エンジニアリングについて学んだそうですが、それぞれどんなことを学び、身に着けたのか聞かせてください。 アフタブ:レコーディング・スタジオの中でやるべきあらゆることに関して。マイクロフォン・テクニック、ピアノのマイキング、レコーディング、ミキシング、マスタリング、SSLボードを使いながらね。実際にスピーカーを作ったり、楽器を作ったりもした。つまりはオーディオ・エンジニアになるのに必要なこと、音楽に関するあらゆる科学と物理を学んだ。 ―今のあなたの音楽に繋がっていると感じる授業はありましたか? アフタブ:ええ、その時のクラスはどれも私にとっては重要だった。そもそも私はサウンドやサウンドのクオリティに興味があったから。たとえば特定のものを違うマイキングで録音すると、オーディオの性質がどう変わるか、といったことに関心があった。その差はとても大事。私の今の作品にもそれは表れていると思う。 私のようなチャレンジングな楽器の組み合わせをする人って、そういないんじゃないかな。普通、ナイロン弦のクラシックギターとハープ奏者は、どちらも似ているのでぶつかり合うものだとされるでしょ。でも私の作品にはクラシックギターとハープが必ず入っている。それをうまく組み合わせられるのは、私に音のソニック能力への深い理解があり、(ぶつかり合うような音が含まれていても)着地させることができるから。私はアレンジを通して、常識に挑戦したい。そんなふうに考えられるのは、私に(エンジニア的な)知識があるからだと思う。 ―あなたの音楽には、テクスチャーやソニックの部分のデザインへの強いこだわりを感じます。僕が最初に聴いた『Siren Island』はその側面がメインで作られていたエクスペリメンタルな音楽性でした。プロダクションやミックスなどに関して、特に研究した人はいますか? アフタブ:すごくいい質問。でも、その答えはわからない。いいプロダクションかどうかは私にはわからない。でも、悪いプロダクションはすぐわかる。 ―どういうことでしょうか(笑)。 アフタブ:つまり(悪いプロダクションは)オーバープロデュースされてるってこと。今の時代の音楽は大抵、オーバープロデュース気味でスペースが残されてないものが多いと思う。私に言わせれば「なんなのよ、一体?」って感じ。あれもこれもありすぎて、混み合いすぎ。それで美しい何かが作れると思うのかもしれないけど、そんなの全然ダメ。何も生まれない。そういうケースをよく目にする。 ―なるほど。 アフタブ:だから『Siren Island』は私なりの探求だった。「なぜノイズ・ミュージックってこんなにノイジーなんだろう? なぜノイズの中に美しさがないんだろう? 私が探求してもいい? それともそうあるべきもの?」って感じ。私なりの「何がどうなってるんだろう? みんなどうしちゃった!?」的探求アルバム。プロデューサーの名前はあまり知らないけど、音楽が混み合いすぎてることはわかるから、そういった(ノイジーな音の)中に美しさを施せないか、自分なりに試してみたかった。私の作品の中心にあるのは、常に「美しさ」と「余白」、そして「選択」よ。