渡辺えり「もう66歳。やろうと思った夢を今やらなければ死んじゃう」コロナ禍で見つめた50年前の夢
新型コロナウイルスの感染拡大により、演劇や音楽などの舞台芸術は自粛を余儀なくされ、前例のない大きな打撃を受けました。女優・劇作家・演出家として、舞台やテレビドラマ、映画などで活躍し、現在は日本劇作家協会の会長も務める渡辺えりさんは、コロナ禍に苦しむ演劇界の小さな声に耳を傾けています。危機の中で気づいた、演劇のデジタル配信の難しさやこれからまだ演劇にできることについて聞きました。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
演劇は見て笑って泣いて感情をかき立てられるもの
――コロナ禍で、演劇や音楽などのエンターテインメントは、緊急事態宣言が出る前に自粛要請があったため、最初にダメージを受けましたよね。 渡辺えり: 演劇をするには最低でも半年はかかるんです。新作を書いて、舞台美術は誰か、劇場はどこをおさえるか……。費用は、私の劇団でも1本の作品をやるのに2000万円とか3000万円かかるわけですよ。でも、今回の補償は、実際に公演をしている途中で中止されるなどしたものだけが対象で、公演ができなかった休業に対する補償ではなかったんです。 だから今、小劇場は本当に不幸な状況になっています。劇団が潰れると雇っているスタッフや役者が職をなくします。そういったフリーランスの人たちが潰れるんですよ。もともと収入が少なかった人がさらに収入が少なくなっていくのです。学校での公演もなくなっているので、児童劇団も潰れちゃっています。生の演劇の面白さを知っている子どもたちもいなくなっているんです。 ――日本では照明さんなど舞台芸術に携わる人に基礎的な支援を重ねる発想はないですよね。 渡辺えり: ないんですよ。例えばアメリカのニューヨークや韓国は、役者たちも八百屋さんや肉屋さんと同じ普通の職業の扱い。だからすぐに支援を受けることができたんです。 しかも、ニューヨークは、役者たちが住むアパートの大家さんにお金を出したんです(※ニューヨーク州緊急賃貸支援プログラム)。役者たちがコロナで打撃を受けるとピンときたから、お金を払えない役者たちを追い出さないでくれって。住むところが保証されたわけです。それが日本ではできないんですよ。役者は職業として認められていないのも同然なんです。西田敏行さんが「なんとか支援を」って訴えたときも、「お前は金持ちだろ」「お前が分けろ」みたいに叩く人がいるほどですから。それでは、応援してくれる人たちも、代表して声を上げてくれる人たちもみんな引いていってしまう。 でも私は、演劇は農業のようなものだと思っています。土地から耕して風雨にさらされる、その努力の過程は見えないまま、私たちは実ったものだけを食べていますよね。演劇もそうで、生きていくためには必要。苦労は外から全く見えないけど、演劇は、見て笑って泣いて感情をかき立てられるもの。そういうものに支援をしていかないと死んでしまうと思うんですよ。 ――コロナ禍を機に、エンターテインメント業界ではデジタル化が進んでいます。演劇の映像配信についてどうお考えですか? 渡辺えり: 私たちの頃は、舞台は一回性のものだと教わってきたんですよ。生の面白さは生でしか味わえない。記憶の中にあるものが舞台なんだって。テレビに出たり、映像を撮ったりすることは魂を売ることだって言われていたんです。一方で、私が山形にいた時、どうしても山形では見られない演劇をNHKの教育テレビの舞台中継で見ていたんです。そこで見た舞台の面白さは忘れられないですね。生の舞台と接することができない人にとっては、今の配信の技術が発達しているのはとても良いことだと思うんです。 生で見る演劇と配信を通じて見る演劇、両方必要だと思うんですね。地方に行くと、劇場や映画館がないところがほとんど。そこに住む人たちはテレビでしか演劇を見られないので、そういう人たちに向けて、演劇を配信するのはすごく必要だと思います。 ただ、演劇というのは、お客さんが視点を選び取るのが面白いわけですよ。自分と同じ人生を生きた人が必ず出てきて、主人公じゃなくても、脇に出た人の人生と自分の人生が重なって感情移入できる。それができるのは生の演劇だけなんです。実際に泣いているし、汗を流しているし、一番前で見るのと一番後ろで見るのとでも全然違う。その生の良さを配信でどう伝えていくのかが課題ですね。