平安時代から続く“渡し船”、大雨被害から約9ヶ月ぶりに運航再開 愛知・豊橋市
記録的大雨による川の増水で、流されてしまった“渡し船”。運航休止から約9ヶ月、新しい船となって復活を果たした。1000年以上もの間、豊橋市民の“交通手段”として親しまれてきた渡し船は、再び新たな歴史を刻み始めた。
豊橋市民に1000年以上親しまれる“牛川の渡し”
愛知県豊橋市を流れる豊川の両岸、大村町と牛川町をつなぐ“渡し船”。船頭が竹竿で川底を押して進む全国的にも珍しい人力の船で、そのルーツは平安時代までさかのぼるという。 豊橋市の人々に“牛川の渡し”として親しまれてきた渡し船。実は約9ヶ月もの間、運休が続いていた。昨年6月、記録的な大雨で豊川が増水。渡船場に停船していた渡し船「ちぎり丸」は、係留していたロープが切れ、流されてしまっていたのだ。
「ちぎり丸」船頭の荒津圭伺さんは、昨年6月の大雨の日のことを日誌に記録していた。「6月2日 警戒レベル4になったので退場します」「4時45分 ちぎり丸確認できず」など日誌に記された船の状況。豪雨で流された「ちぎり丸」は、昨年11月に渡船場から25㎞も離れた田原市の港で見つかった。
先代の船「ちぎり丸」が作られたのは、約27年前の1997年。それから廃船になるまで、渡船場の位置は変化しながらも、多くの人を運び続けてきた。豊橋市の人々にとって、身近な交通手段のひとつでもある“渡し船”。「ひょっとしたら、このまま渡し船がなくなっちゃうかもという心配しました」と、荒津さんは豪雨後の心境を振り返りました。
再開に向け、カヌーで船を漕ぐ自主練
迂回すると車で10分かかる道を5分でつなぐ渡し船。豊橋市が管理する“市道”であることから、約900万円かけ新しい船を作ることになった。先月、渡船場には、運航再開に向けて準備を進める荒津さんの姿が。竹をブラシで洗い、船を漕ぐ際に使用する“竹竿”を作っていた。
長さ7mにもおよぶ竹竿。消耗品のため、毎年船頭の荒津さん手作りしていたのだ。青い竹を火であぶり強度を高めていくが、1本作るのに丸1日かかるそう。「せっかく新品の船が来るので、完璧の状態で来た人に喜んでもらえるように、準備をすすめています」と話す荒津さん。運休中には体力と感覚が衰えないよう、勤務時間外にカヌーで船を漕ぐ自主練を行うなど、運航再開に向けて準備を重ねてきた。