スノーボード女子パラレルの三木つばき ミラノで金へ成長実感「26年2月6日が五輪開会式。頭にインプットしてあります」
スノーボード女子パラレルで2023~24年シーズンにW杯2勝をマークした三木つばき(20、日体大3年)=浜松いわた信用金庫、掛川桜が丘中出=がこのほど、スポーツ報知の取材に応じた。W杯では2勝に加え4度3位に入るなど大活躍。目標にしていた「W杯2勝を含めて表彰台3回」をクリアした充実のシーズンを振り返った。(構成・塩沢 武士) *** 実りあるシーズンだった。温暖の地・掛川で育った三木が、世界各地のゲレンデで存在感を示した。23~24年シーズンのW杯12戦中2勝を含み3位4回と表彰台に6度も上った。W杯ポイントランキングでも総合2位と世界の頂点にあと一歩のところまで上り詰めた。 三木「本当に充実した1年だった。毎年所々、『シーズン長いな』って感じたりするけど、今回はなかった。一日一日を大切に過ごせたと思います」 22―23年シーズンは世界選手権で優勝したが、W杯では自ら掲げた目標を下回った。「表彰台に3回、ベスト4の進出率50%」を掲げたが、3位以内は1度だけ。同進出率は27%にとどまった。 「世界選手権Vという“ご褒美”が大きかったので、いいシーズンだったように見られたけど、W杯の目標をクリアできなくて内容的には良くなかった。でも、その分、(23~24年シーズンで)盛り返せた。色々な面を改善して、半分の試合で表彰台に上がることができたというのは、良かったです。技術面でもメンタル面でも成長できたと思います」 環境面が大きく変わった。今季はチーム「ジートリム(GiitdLim)」※を新設。ボードをメンテナンスするサービスマンを新たに帯同させた。練習場などを手配するアテンド担当とトレーナーと三木の4人で生活を共にした。 「板を勝つために一番良い状態に仕上げてくれるので、とても心強かった。専属コーチを置かなくなって2年目で、“慣れ”も大きかった。何でも自分でやらなきゃって感じだったけど、今は余裕を持ってトレーニングもやれるようになりました」 帰国後は、静岡でスポンサーへのあいさつ回りや東京で大学の準備をしながら少しずつ体を動かしている。次のシーズンへ本格的に体づくりを開始するのは4月下旬の予定だ。プレ五輪イヤーとなる24―25年シーズンの目標は、世界選手権連覇とW杯で総合1位を取ること。ふたつのタイトルを手に、26年のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に向かうつもりでいる。 「26年2月6日が五輪の開会式。その日はしっかり、頭の中にインプットしてあります」 まだ大会スケジュールは出てないため「試合がいつかは、分かりませんが…」と笑う。今後2年間は競技に神経を集中させる。 「大学は1年留年する予定。大学院にも行きたいし、将来のためにスポーツメンタル指導士の資格も取りたい。当初、ミラノで金を取って辞めるって言っていたけど、今は未定です。まずは、26年までのことを最優先に考えたい」 静岡育ちのアスリートが、冬の五輪でメダルを獲得すれば史上初の快挙。五輪、世界選手権を含めて男女通じて日本人初のアルペン種目で金メダルを獲得したヒロインが2年後、ミラノの表彰台で金メダルを掲げる姿を頭に描いている。 ※「God Is In The Detail(神は細部に宿る)」「Less Is More(少ない方が豊かである)」の2つのフレーズの単語の頭の文字(GiitdLim)から名付けた。「最少人数だが、各々が自分の仕事を細部にわたってこだわり、全うし、最大の効果を狙って活動する」という目標が込められている。 ◆三木つばき(みき・つばき)2003年6月1日、長野・北安曇郡白馬村生まれ。20歳。5歳の時、掛川市へ転居した。4歳でスノボを始め、中2でナショナルチーム、強化指定ユース選手に選出された。22年の北京五輪では予選3位で決勝進出。トーナメント1回戦で転倒して敗れた。173センチ。家族は両親と妹。 ◆スノーボードパラレル 赤と青の旗を立てたコースを2人が並走するパラレル方式でタイムを競う。W杯などは回転と大回転の2種目あるが、現在、五輪の種目は大回転だけ。予選はそれぞれのコースを1回ずつ滑り、合計タイムの上位16人が決勝に進出。決勝はトーナメント戦で予選1位と同16位、同2位と同15位…が対戦し、先にゴールした選手が勝ち。22年北京五輪の女子日本代表は三木と14年ソチ五輪銀メダリストの竹内智香。
報知新聞社