田島翔のフッチボール日記 Vol.4
サッカーと麻雀の二刀流プロの肩書を持つ田島翔という男はいったい何者なのか――。1993年にJリーグが開幕され、日本で空前のサッカーブームが巻き起こった時代を生きてきた彼は、高校卒業後、プロサッカー選手に夢を抱き、シンガポールへ渡る。その後もいくつかの海外でプレーを経験したのち、日本ではJ2のロアッソ熊本などに所属するも、再び海外サッカーの世界でキャリアを積んできた。これから新たな道を切り拓くサッカー人生とは――。自身の半生を振り返りながら、田島翔が“フッチボール日記”を綴る。
こんにちは、田島翔です。 先月から日記の連載が始まり、いろいろな方から連絡をもらったり、声をかけていただいたりする機会が増えてきたように感じます。そんなとき、よく聞かれるのが「普段、東京では何をしているのですか」という質問です。 たしかに、僕はプロサッカー選手と名乗っていますが、ブラジルのプロリーグ・セリエBのナシオナル・ローランディアに合流するのは来月……今は何をやっているのか。 人間はそこにいるだけでお金がかかります。ただ息をしているだけでも、家賃は払わないといけないですものね。そんなわけで僕は、週に3日ほどプロ雀士として健康麻雀店のガラパゴスの高田馬場店か神保町店に勤務しています。朝9時から夕方16時半までみっちり、お客さんに麻雀を教えたり、接客をしたり。健康麻雀なので、もちろん何かを賭けるようなこともありません。
芝国際高校
それから、週に2日は外部コーチを務めている芝国際高校(東京都)のサッカー部で指導にあたりながら、生徒たちと一緒にボールを蹴っています。芝国際高校は新設校のため、部員は1年生だけで構成され、練習場所はテニスコートより、やや広めの校舎の屋上。生徒達はもっと広いコートでボールを蹴りたいでしょうが、環境というのは徐々に整っていくものですし、じつは狭い練習場は悪いことばかりでもないのです。 僕はコーチとして、この「狭さ」を効果的に使う練習方法を考えることにしました。ドリブルや守備の強化を意識した1vs1、アジリティなどの俊敏性、最低人数での守備の崩し方といった個にフォーカスしたメニューを中心に組み立てたのです。 やはり、現代サッカーの基本は「個の強さ」。その前提の上で、各自に役割を与え、チームとして戦っていくというのが僕の考え。狭いコートだからこそ、たくさんボールに触れられたり、一人ひとりに目が行き届くメリットだと思います。 ちなみにFC琉球初期の頃は、ゴールやロッカールームもない普通の公園でトレーニングをしていました。それでも監督の与那城ジョージさんをはじめ、元Jリーガーの選手達は文句を言わず、結果で環境をよくしていくために頑張っていました。その時の経験があるからこそ、環境に文句を言うのではなく、置かれた環境を活かしてトレーニングをする。それこそが大切なのではないでしょうか。