「今年こそ絶対、ダイエットに成功する」 新年の目標が3日坊主に終わってしまう根本的な理由
「どうにかなる」でやわらかくなった心ならば、「さて、どうしようか」も、ゆっくり考えられるような気がしませんか。 やわらかな心を持つことが、日々の苦しさを和らげてくれるとはいえ、ただ受け流しているだけでは、いつまでも現実は変わりません。 禅の教えでは、しなやかさと同時に「行動」も重視されています。 迷いや失敗を恐れずに一歩踏み出すことで、心が整い、次の道が見えてくるのです。 ここからは、「動くことで得られる成長」について考えてみましょう。
禅の言葉が示す、実践を重ねる重要性に触れていきます。 ■一つ動けば、一つ成長できる 目の前にあるコップに注がれた水は冷たいのか、温かいのか。 そんな些細なことすら、見ているだけではわかりません。 実際に飲んでみるか、手を触れてみる以外に、冷暖を知る方法はない。 「冷暖自知(れいだんじち)」とは、そんな意味の禅語です。 何事も、そうなのだろうと思います。 要は、考えることより、動くことが大切。 本で読んだことも「なるほど、そうか!」と思っても、頭に知識を入れたのみでは悟りに至りません。
少しでも実践に移し、身体で会得してこそ、悟りと言えるのです。 ネットで何でも調べられる時代になり、部屋でスマホを弄っているだけでも「禅とは」「悟りとは」「丹田呼吸とは」と語れるようになりました。 しかし、情報を集められることと、「わかる」ことは、天と地ほどにも違うのです。 例えば、「『今、落ち着きを失っているな』と感じたら丹田呼吸をすればいい」という知識だけ覚えていても、いざその場面に遭遇すると、思うようにお腹に呼吸を落とせないでしょう。
あるいは「人の話を『聞く』のが大事」と自分に言い聞かせていても、「おれだったらこうするね」などと求められてもいないアドバイスをしてしまったり。 こればかりは、実際に試しながら成功と失敗を積み重ねていく以外に方法はないのです。 ■迷いながらでも、大丈夫 禅が何より「実践」を重んじるのはそのためです。疑いながら、迷いながらでもまったく構いません。 むしろ、行動することで「あれ、本で読んだ通りにはいかないぞ」「これって、うまくできてるのかな?」「書いてあることがおかしいんじゃない?」といった新たな迷いが生じると思います。
それでも、大丈夫です。 行動によって生じた迷いは、次の行動によって打ち消せばいいのですから。 すべての迷いが一挙に晴れることはありません。 しかし少なくとも、一つ動けば、そこで得られた経験が一つ迷いを消してくれるはず。 一つ動けば、一つ成長できる。 それは、禅が「行動」を説く理由そのものでしょう。
枡野 俊明 :「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶