元バレーボール日本代表 木村沙織さん(38)がトップアスリートへと成長した軌跡|STORY
保育園でも頭ひとつ分大きかったです
小2からバレーボールのクラブチームへ
母がママさんバレーをやっていて、小さい頃からいつも母の練習について行っていました。待っている間、ボールの壁打ちをコーチに教えてもらっていて、その頃からだんだんとボールが打てるようになって楽しいなと思っていました。そんな時、母のチームメイトのお母さんに、娘がクラブチームに入ってるから一緒に行ってみない?と誘われ、小2からクラブチームに入りました。 入った当初から、週5回、16時から19時半までの練習で、火木だけお休み。土日も都内のチームと練習試合もあって、小2からガッツリとバレー生活でした。 クラブチームは家から車で15分くらいで、いつも母が送迎してくれていました。母は仕事もしていたので、大変だったと思います。今自分も母になって、改めて母の偉大さを実感しています。
後列の右端、23番が木村さん
断るのが苦手で、バレーボールを休んだ2週間
バレーボールを始めてからは、お休みの日もエレクトーンや書道を習っていたので、なかなか学校のお友達と遊ぶ時間がありませんでした。小4の時、学校帰りにいつもお友達から遊ぼうと誘われていて、断るのが辛くて2週間バレーボールを休んだことがあったんです。バレーボールが嫌になったわけではなかったけど、遊ぼうと誘ってくれたのも嬉しかったし、せっかくのお友達の誘いを断るのもできなくて…。そのままバレーボールに行かずにやめてもおかしくなかったのですが、今度はクラブチームのお友達から電話があり「なんで練習に来ないの?明日は一緒にバレーボールやろうよ」と言われ、そのお友達の誘いも断ることができなくて、結局バレーボールに戻ったんです。あの時誘ってくれた子がいたから、バレーボールを辞めないで続けることができたなぁと。
右が木村さん。真ん中のお友達が、またバレーボールに来てと誘ってくれました。
中学からはバレーの強豪校へ進学
所属していたクラブチームに、中学のバレー部の監督が見にきてくれて、スカウトを受けて都内にある私立のバレー強豪校へと進学しました。日本一を目指せる環境で、高校までの6年間を過ごしました。 監督はすごく厳しいということもなく、生徒同士で高め合うスタイルで、割と自分のやりたいようにやらせてもらえたのも、性格にあっていたなと思います。 高校2年の時には春高を制して全日本に選出され、翌年にはアテネオリンピックにも出場することができ、母からはいつも、「あなたは本当にラッキーだね」と言われてきました。 身長も、中高6年間で約20センチ伸び、高校卒業後は実業団の東レ・アローズへと入団して、更にバレーボールへの道に突き進んで行きました。