悪夢の歴史…日本代表、背番号10の系譜(1)中田英寿、そして…日本最強の中盤と呼ばれた男
日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号10を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回は18年ロシア大会までのワールドカップで10番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
フランスW杯
背番号10:名波浩(ジュビロ磐田) 生年月日:1972年11月28日(25歳) 個人成績:3試合出場/0得点0アシスト 戦績:グループステージ敗退 清水商業から順天堂大学に進み、1995年にジュビロ磐田に加入した名波浩は、チームでレギュラーを確保するとともに日本代表でもデビューを飾っている。アジア予選にも主力としてプレー。日本代表がワールドカップ出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるイラン戦にもフル出場した名波は、本大会のメンバーにも順当に名を連ねた。 初のワールドカップの舞台で、日本は3戦全敗という結果に終わった。名波は3試合ともに先発し、山口素弘、中田英寿とともに3-4-1-2システムの中盤を担った。しかし、チームはアルゼンチン戦とクロアチア戦をともに0-1で落とし、早々にグループステージ敗退が決まった。 同じくグループステージ敗退が決まっていたジャマイカ代表との第3戦も、2点を先行される苦しい展開となった。それでも74分、中盤の名波が相手のプレスをかわして左サイドにパスを送る。これを受けた相馬直樹が右足でクロスを上げると、ファーサイドで待ち構えていた呂比須ワグナーが頭で落とし、中山雅史が右足でゴールに押し込んだ。 日本代表が一矢報いたワールドカップ初得点から5分後、名波は18歳の小野伸二と代わってピッチを退いている。日本代表にとっても、自身にとっても初の大舞台でのプレーは3試合に終わった。 フランス大会後は、2000年のアジアカップで大会MVPに輝き、日本代表を優勝へと導いた。国際Aマッチ67試合7得点という数字を残しながらも右ひざの負傷に悩まされ、再びワールドカップの舞台を踏むことなく代表を引退している。