株主に揉まれて企業は強くなる ROEが通じなかった日本に「コーポレートガバナンス・コード」はいかに導入されたか?
八田 斉藤さんがキャッシュフローで企業価値を考えるようになったのは何がきっかけですか。やはりアメリカ駐在時代ですか。 斉藤 おっしゃる通りです。私は日本の支店で日本株のセールスをやっていたところから、いきなりニューヨークに行きました。そこでの使命はソニーや松下電器産業(現パナソニック)など、日本企業の株を現地の投資家に買ってもらうこと。 で、無邪気に「良い会社ですから(株を)買ってください!」と売り込んでいたら、ファンドマネージャーから唐突に「そのソニーという会社の発行済み株式総数はなんぼなんだ?」って聞かれるわけです。 そんなこと、日本では聞かれたことがないですから、株を買うのと株式総数と何の関係があるのかと聞き返したら、コンコンと「会社のバリュエーション計算ってのはこうやってやるんだ」と教えられましてね。 それまでEPS(1株あたり当期純利益)やBPS(1株あたり純資産)なんて考えもしませんでした。当時の野村証券には株式部の推奨銘柄というのがあり、全国の営業マンは「今週はこれを売って来い!」って言われるんです。 実際、野村の営業力でその企業の株価は上がってしまうわけですが、アメリカに行ったらまったく通用しない。投資家に数字で質問されても、それ以上反撃できませんでした(笑)。 八田 学問や教育の現場でも同じですよ。キャッシュフロー計算書(C/F)が会計の世界で公認されたのは、そんなに昔のことじゃないんです。1990年代前半は、学界でもキャッシュフロー計算書を有価証券報告書の記載項目に入れようとしたら大論争になったんです。 まず「キャッシュフローを日本語に訳せ」とか言われましたよ。「資金繰り表」でもないし何なんだろう…みたいな不毛な議論が繰り返されていました。連結キャッシュフロー計算書が有価証券報告書に入ったのは20世紀末になってからです。
斉藤 日本企業にはWACC(加重平均資本コスト)の発想がないから、稼がなければいけないベースコストの議論ができないんですよね。 WACCに対するROE(自己資本利益率)、ROA(総資産利益率)はいくらなのかがスタートで、「D/EBITDAレシオが7とか10とかっていう計画でどうでしょう?」といういい話を銀行にしても、当時は通じない。経営者にも資本コストという発想がなく、銀行金利だけ返せばと思ってしまっている。 八田 多くの日本人経営者に会計リテラシーがないのは本当に問題ですね。道具立てのないところで経営をやっているわけですから。教育の問題もありますよね。日本は会計を勉強せずに経済学を学ばせる。産業再生機構でも活躍された冨山和彦さん(経営共創基盤 IGPIグループ会長)もスタンフォード大学に留学して初めて簿記を勉強したそうですね。 ■ 東証で「コーポレートガバナンス・コード」創設を実現 八田 産業再生機構はもともと5年間の時限的な組織でしたよね。しかし、予定より1年早く2007年3月に解散するほどの効果を上げた。そして、斉藤さんの次の職場は東京証券取引所になるわけですが、これはどういった経緯だったのでしょうか。 斉藤 野村ホールディングス(HD)の会長になっていた氏家純一さんから頼まれたんです。西室泰三さん(元東芝社長、2005~2010年まで東証会長)の後任がなかなか見つからないという話でした。 「日本株はもうダメだから、東証なんて行かないほうがいい」と助言してくれる友人もいましたし、そもそもお役所的で自分には合わないとも思っていたんですが、氏家さん、西室さんに懇願されたうえ、好きにやっていいと。「それならば…」と引き受けました。 八田 そこでコーポレートガバナンス・コード導入を主導されるわけですが、かなり紆余曲折があったのでは? 斉藤 米国株は株主に厳しく揉まれて株価が上昇しました。だから、日本でも株主に揉まれて日本企業が強くなれば、株価も上がる。そう考えて、コーポレートガバナンスの導入に向けた法改正を目指し、法制審議会も立ち上がったのですが、なかなか進まない。 最大の抵抗勢力は実は法務省でした。既存の法律を変えることに、とにかく抵抗する。コーポレートガバナンス導入には経団連も猛反対していましたから、今回こそ法改正に持っていけると思っていたときでも、最後は付帯決議に格下げされてしまう有り様でした。