「幻のがん」といわれる超早期の膵臓がんをつかまえる医師の苦悩
がんが確定したのに使える薬がない
私が医師になったのは1988年のことです。広島大学病院の消化器内科に入局し、膵臓を専門にすることを決めました。 忘れられないのは、病院で初めて膵臓がんの患者さんに対峙したときのことです。研修医の立場としてカンファレンス(検討会)に参加したのですが、そこで聞いたのは、膵臓がんと確定したのに治療薬がないという話です。 「では、この患者さんにはどういう治療をするのですか」 と質問すると、 「そんなことを言っても、薬がないのだからしかたがない」 「いい質問だけどね、膵臓がんでは保険で使える薬がほとんどないのだよ」 と言われて、愕然(がくぜん)としたことをよく覚えています。 その絶望的な気持ちは、2001年にゲムシタビン(商品名:ジェムザール)という薬が保険認可になるまで続きました。私が医師になって10年以上もずっと、そんなもどかしくいらだたしい状況に置かれていたのです。 治療に困難があるのならば、残された道は早期診断しかありません。私は内科の医師ですから、少しでも早くがんを見つけて、外科の先生に手術していただければ、膵臓がんは治る可能性が高まるのではないかと考えました。 ●故郷の病院で膵臓がん「超早期発見」への挑戦 私が膵臓がんの早期診断に本格的に取り組もうと決意したのは、1997年に広島大学から故郷の尾道市にあるJA尾道総合病院に赴任してきたときのことです。 私が赴任するまで、JA尾道総合病院には膵臓の専門医はいらっしゃいませんでした。しかし、当時は徐々に膵臓がんの患者さんが増えていたこともあり、膵臓病を専門とする医師が必要だとの要請が病院から広島大学に届いたようです。
尾道でまず取り組んだのは、看護師さんや技師さんに声をかけて、膵臓病に関する内視鏡診療をやりたいという意気込みのあるメディカルスタッフを増やすことでした。6年にわたってかなりの数のスタッフと勉強会を重ね、仲間が増えたタイミングで、2003年に内視鏡センターが設立されました。そして私は、内視鏡センター長に就任しました。 そして、2007年、世界に先駆けて、膵臓がん早期発見のために地域の診療所やクリニックと大きな病院が連携するプロジェクト、通称「尾道方式」を立ち上げました。 膵臓がんの5年生存率が低いのは、先ほども述べたように早期発見が難しかったことが大きな理由でした。もし、「超早期発見」ができれば、多くの場合、手術で根治することが可能になり、5年生存率も改善するはずです。 「尾道方式」の重要なポイントは、膵臓がんの危険因子をもつ患者さんに、かかりつけ医や身近な診療所で腹部エコー(超音波)などの画像検査を定期的に受けていただき、疑わしい症状が見られた場合には、積極的に中核病院で詳しい検査を行うというところです。 この取り組みの結果、膵臓がんの早期診断例が増え、私が勤めるJA尾道総合病院における膵臓がん患者さんの5年生存率は、なんと約20%に達しています。 そして、「超早期発見」とも言える「ステージ0」での発見が可能になると、5年生存率はさらに高まることが分かっています。ステージ0といえば、画像検査でもほとんど見つけられない、いわば「幻のがん」。日本膵臓学会によると、ステージ0で発見し手術をした場合の5年生存率は、約85%にも上るのです。 怖いがんに変わりはありませんが、ここに希望があると私は考えています。
花田 敬士