『ドラゴンボール』の“ラブソング”はなぜ神曲か? 悟空とブルマの“ボーイミーツガール”
悟空がいたから楽しかった
「DAN DAN 心魅かれてく」を歌い継ぐことは、まるで悟空の“再登場”を呼びかけているかのようだ。そして「悟空がいたあの頃」の再現への希望が、この曲のノスタルジーを強化するだろう。 加えてこの曲がノスタルジックなのは、『GT』の結末においていよいよ悟空がいなくなってしまうからだ。同作の最終場面において、悟空は超一神龍を倒したあと神龍と一体化(?)し、姿を消してしまう。そして「DAN DAN 心魅かれてく」が再生されるとともにナレーションが流れる。「悟空がいたから楽しかった」。 つまり「DAN DAN 心魅かれてく」が想起するのは「悟空が現れることへの期待感」であると同時に、ついに「悟空がいなくなってしまうことへの喪失感」でもある(坂井和泉がすでに亡くなってしまったことも連想されるかもしれない)。このような両義性が同楽曲を今なお歌い継がれるものとして位置付けているのであり、かつある意味では(ブルマから向けられたあの眼差しから見れば)他のどの作品よりも“『ドラゴンボール』らしい”曲と言えるだろう。 現在(2024年10月時点)新シリーズの『DAIMA』が放送されているなか、アニメシリーズが今なお制作され続けていることに対する『GT』の存在意義は極めて大きいだろう。上述したような世界観の提示もさることながら、「超サイヤ人4」という設定を持ち出すことで「原作の設定を超えたパワーインフレを、アニメオリジナルシリーズで展開していい」という既成事実をもたらした。これが膨大な規模の二次創作性を産み、その後のゲーム作品や『ドラゴンボール超』(同人作品である『DRAGON BALL AF』も含めてもいいかもしれない)など、ある意味MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)とも通じるような多元宇宙解釈に基づく数えきれないほどのキャラクターIPを成立させたと言える。 今後、『DAIMA』がどのような展開を迎えるのかは未知数だが、今こそ『GT』の達成を振り返ってみるのもいいだろう。悟空に心魅かれていたあの頃のことを。
徳田要太