『ドラゴンボール』の“ラブソング”はなぜ神曲か? 悟空とブルマの“ボーイミーツガール”
新シリーズの『ドラゴンボールDAIMA』(以下『DAIMA』)が始まったように、原作以外のオリジナル展開も含めて『ドラゴンボール』といえば“引き伸ばし”の代表的作品だ。それゆえに「いつ終わるべきだったのか」について議論(?)するファンもいて、「フリーザ編で終わるべきだった」だの「『GT』は蛇足だった」だのと言われるが、私見ではあえて言えば「『DAIMA』が完結したタイミングで終わるべき」、というかずっと続いていてほしいというのが本音だ。 【写真】『ドラゴンボールDAIMA』 ついに“如意棒”の戦闘シーンが解禁 そもそも『ドラゴンボール』はアニメやゲームオリジナル展開も含めて「引き伸ばされまくった」からこそ、ここまでのビッグコンテンツになったと言えるだろう。そのメカニズムを、最初のアニメオリジナルシリーズ『ドラゴンボールGT』(以下『GT』)を振り返ることで考えてみようと思う。
今なお『ドラゴンボール』に「DAN DAN 心魅かれてく」のはなぜか
『ドラゴンボールGT』といえば、本編よりもオープニング曲の「DAN DAN 心魅かれてく」を思い浮かべるファンが多いかもしれない。2020年に同楽曲のアーティストであるFIELD OF VIEWが活動再開を果たしたこともあり、影山ヒロノブ楽曲と並んで今なお歌い継がれ続けている曲だ。 この曲は坂井和泉(ZARD)が作詞を手掛けたラブソングということもあり、それこそ影山が歌うような「CHA-LA HEAD-CHA-LA」や「WE GOTTA POWER」などのいわゆる“熱い”アニソンのイメージとはややかけ離れているように思える。 しかし、初代アニメ『ドラゴンボール』のエンディング曲が「ロマンティックあげるよ」だったように、実は『ドラゴンボール』の世界にラブソングは自然に(“最初”から)溶け込んでいる。 というより、初期の作風である「“冒険”への期待感」が「“恋愛”のときめき」と重なっているかのような表現が歌詞の水準でなされているだろう。 ロマンティックあげるよ ロマンティックあげるよ ホントの勇気 見せてくれたら ロマンティックあげるよ ロマンティックあげるよ トキメク胸に きらきら光った 夢をあげるよ (「ロマンティックあげるよ」/橋本潮) DAN DAN 心魅かれてく この宇宙(ほし)の希望のかけら きっと誰もが 永遠を手に入れたい ZEN ZEN 気にしないフリしても ほら君に恋してる 果てない暗闇(やみ)から飛び出そう Hold your hand (「DAN DAN 心魅かれてく」/FIELD OF VIEW) 「ロマンティックあげるよ」のエンディング映像は雨の中たそがれるブルマの表情が印象的で、その様子は恋人に思いを馳せる、あるいは恋人の帰りを待つ少女であるかのようだ。そして物語最初期においてブルマが寝食をともにしていた相手といえば悟空=“孫くん”である。 そもそも『ドラゴンボール』は、言ってみれば悟空とブルマの「ボーイミーツガール」によって始まった物語だ。作中序盤ではギャグとしての“お色気シーン”が頻出していた(悟空もブルマも堂々と性器を露出する)ことから、悟空の男性性とブルマの女性性はむしろ序盤でこそ強調されていたと言えるだろう。 ブルマから悟空へ、いわば友愛とでも呼ぶべき感情に基づいて向けられた視点は、この作品の全体をうっすらと貫く。原作エピソード「TRUNKS THE STORY ―たったひとりの戦士―」で発せられた「どんなにとんでもないことが起きても かならずなんとかしてくれそうな… そんな ふしぎな気持ちにさせてくれる人なの…」という台詞はそのことを象徴するだろう。あるいはこれは、視聴者の気持ちを代弁しているかのようだ。 ブルマは時には「あいつが あんなにカッコよくなるとはおもってなかったな…」などと恋愛対象として“アリ”なことを宣言しつつも、決して本当にくっつくことはない男女ゆえの絆が、悟空とブルマには見出される(※悟空もブルマを女性として魅力的だと考えているのは、「ブウ編」においてブルマの“生写真”を界王神に与えようとしていたことからわかる)。ブルマは悟空のことを「孫くん」と、苗字に“くん付け”で呼ぶが、他人行儀でありながらもこの呼び方をするのはブルマだけという事実が二人の関係の唯一性を強調するだろう。加えて、原作最終回「バイバイドラゴンワールド」の1ページ目と『DAIMA』第1話の冒頭シーン、いずれにも登場するのがあの「ブルマが悟空にドラゴンレーダーを見せるシーン」であることは示唆的だ。 物語序盤から、悟空や亀仙人といった“超人”や人外のキャラクターがひしめく『ドラゴンボール』の世界において、ブルマは最初期から身体能力的には“普通”の人間として登場する。それは悟空たちの“超人”ぶりを強調するために、そして読者と同じ感情を共有するために描かれた「視点人物」としてのあり方である。 したがって「ロマンティックあげるよ」の映像内でブルマが“孫くん”へ想いを馳せているように見えてしまうとすれば、それは視聴者が悟空の登場を待ち侘びて募らせる期待感と重なりうるだろう。同楽曲の歌詞が「“冒険”への期待感」と「“恋愛”のときめき」を重ね合わせていたように。 『ドラゴンボール』における「ラブソング」がそのような機能を持つのだとすれば、「DAN DAN 心魅かれてく」が歌い継がれているのも納得だ。『ドラゴンボール』のラブソングが描いているのは、単純に恋人への想いであると同時に、“悟空が現れることへの期待感の現れ”でもあるからだ。「DAN DAN 心魅かれてく」相手はまず悟空なのである。