第14回 0勝15敗1分日本チーム vs 圧倒的な強さで日本勢を問題にしなかったヤンキース|「対決」で振り返るプロ野球史
「野球親善大使」の役割を担わされたヤンキース
10月21日、24歳の誕生日を祝うマントル。右はステンゲル監督[東京・日活会館で]
この連載も、1950年代の半ばまで進んだ。その中間点、55年に来日したのがニューヨーク・ヤンキースだった。戦後、アメリカのプロ野球チームは、ヤンキース以前に4チームが来日している。49年にサンフランシスコ・シールズ(3A)、51年に大リーグ選抜、53年にニューヨーク・ジャイアンツとロパット・オールスターズ。メンバー的には、ヤンキースの投手、エド・ロパットが率いるオールスターズが断然光っていた。“ホームランプリンス”エディー・マシューズ(ブレーブス)、ビリー・マーチン(ヤンキース)、ヨギ・ベラ(同)、イノス・スローター(カージナルス)、ハンク・サウアー(カブス)と野手はものすごいメンバー。投手もロパット、ボブ・レモン(インディアンス)、ロビン・ロバーツ(フィリーズ)と球史に残る名投手ばかり。 とにかく、マイナーであろうが、メジャーであろうがアメリカのチームならなんでもありがたがる時代。日本人にはみんな後光が射すように見えたことは、容易に想像がつく。この4チームに対する日本勢の成績は・・・
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週刊ベースボール