ロマーリオ幻の東京V加入 ブラジル代表スターが前向き発言「1年だけなら…」
【多事蹴論95】名門Jクラブが元ブラジル代表のエースFWロマーリオ獲得に動いた“真相”とは――。2001年に川崎市から東京都に本拠地を移転することが決まっていたヴェルディ川崎(移転後の名称は東京ヴェルディ1969)は再スタートの目玉として名だたるスター選手の獲得を計画。中でも1994年米国W杯でブラジルを優勝に導くとともに国際サッカー連盟(FIFA)の最優秀選手賞に輝いたロマーリオに白羽の矢を立てた。 スペイン1部バルセロナで得点王になるなど大活躍したロマーリオは167センチと小柄ながらもスピードとテクニック、決定力を兼ね備えた世界屈指のストライカーとして知られていた。00年はブラジル1部バスコ・ダ・ガマに所属。34歳とベテランの域に入っていたものの、天性の得点感覚は健在でゴールを量産していた。同年にはW杯南米予選を戦うブラジル代表にも復帰するなど、存在感を示していた。 V川崎は93年のJリーグ発足時、東京に基準を満たすスタジアムがなかったことから川崎を本拠地としたが、東京スタジアムの完成で悲願のホーム移転が正式決定。クラブ側は01年からの再スタートに向けて「実力と知名度、集客力のある選手」の獲得を検討していた。そこで以前にも接触したことのあったロマーリオ側と00年春からコンタクトを取って獲得の可能性を探っていたという。 クラブ関係者によると、スター選手を獲得するには年俸や住居、車などに加えて、01年から自身で保持することになるパス(選手保有権、現在は禁止)のレンタル料なども含めて総額7億円もの費用がかかる中、ロマーリオ自身から「1年だけなら日本でプレーしてもいい」との回答を得たという。当時V川崎の予算は5億円と大きな差はあり、金策の必要性は残っていたものの、まさに東京移転にふさわしい“スター補強”の好機となった。 こうした現状についてV川崎の坂田信久社長は「いろいろと選手を探している。一応、ブラジル人ということで人選している。われわれは東京に移転するわけで何かをしなければいけないと常に思っている。5万人のスタジアムを埋めなければならないわけですから。もちろん、予算のこともある。ただ来季の体制もまだ決まっていないので…」と語っていた。 ロマーリオとの交渉はブラジルのシーズン終了後の12月以降、本格的に行う予定だった。しかし他のスター補強も含めて、V川崎の計画には多額の費用がかかることや東京に移転したとしても資金回収に懸念があるため、親会社の日本テレビから「ストップ」がかかり方針転換することになってしまった。 ロマーリオ獲得も幻となり、大型補強プランは完全に頓挫した。迎えた移転1年目の新シーズンは最終節まで残留争いを繰り広げるなど、苦しい戦いを強いられた。 (敬称略)
東スポWEB