プロ志望届を提出した"令和最初の甲子園優勝投手" 履正社時代の恩師は「人間的な成長を感じる」と太鼓判
コロナ禍がなかったら、高校時代にプロ志望届提出も
新チームからは背番号1を背負い、大阪大会準優勝、近畿大会4強。翌春の選抜大会への連続出場も決まった。しかしコロナ禍により、翌年は選抜大会も春季大会も夏の甲子園も中止になってしまった。 「高3の選抜や夏の大会でいい結果を出せたら、プロ志望届を出すことも考えていました。でも、それが中止になってしまって……。やる気をなくしていたところもあったんですけど、東洋大が熱心に誘ってくれていたことを聞きました。履正社から東洋大に進んだ人はそれまでいなくて、自分が初めてということからも興味を引かれました」 東洋大では1年春から神宮球場のマウンドを踏んだ。しかし、チームはそのシーズンで2部降格を喫してしまう。1年秋から3年春までは2部リーグでの戦いを余儀なくされた。3年秋は1部でプレーしたが最下位に沈み、入れ替え戦にも敗れて再びの2部降格となった。 東都1部リーグでの通算成績は9試合に登板し2勝2敗、防御率2.86。同2部リーグで今春までの時点では20試合に登板し6勝5敗、防御率2.76。順風満帆とは言えない4年間だったが「ここまでの数字には納得いかないところもあるけれど、パフォーマンスは向上している。4年間で着実に成長してきた実感はあります」と胸を張る。高3のときに最速148キロだった球速は、最速153キロまでアップした。前述の岡田監督も「野球の技術もそうですが、話しぶりや話の内容から人間的な成長を感じます」と岩崎の成長を喜ぶ。
集大成のシーズン、後輩たちのために1部復帰を
一條力真(4年、常総学院)、柿本晟弥(4年、東洋大姫路)、島田舜也(3年、木更津総合)ら、岩崎以外にも本格派の投手を何人も擁する東洋大学は今秋、継投でつなぐ方針を取っている。岩崎は「自分は長いイニングを投げて力を発揮していくタイプ」と自認するが、そこは当然、チームの方針に従う。ドラフトへ向け、長いイニングを投げてアピールしたい気持ちも抑え、チームの勝利を優先させる。 「集大成のシーズン。後輩たちのために、チームを1部に上げて卒業したい。去年の秋は1部で場所も神宮球場でしたし、ドラフト候補の投手と投げ合うことでアドレナリンが出て、球速も上がって好投にもつながったと思う。後輩たちにも来年、そういう経験をしてもらいたい。自分は先発でもリリーフでも、ロングでもショートでも、『投げろ』と言われれば、投げる準備はしています」と言葉に力を込める。 高2の夏以降、マウンドへ上がるたびに「甲子園優勝投手の岩崎」と注目されたが、それをプレッシャーに感じたことはないという。大舞台で力を発揮できる気持ちの強さも大きなアピールポイントだ。好きな言葉は「ユーモア」。肩に力を入れず、4年間で築き上げてきた自信を胸に、強気に腕を振る。
小川誠志