「ビリギャル」は日本だから生まれた 小林さやかさんが語る日米の受験システム
映画化もされたベストセラーのモデルであり、「ビリギャル」*として一世を風靡した小林さやかさん。書籍の発売から10年が経った今、アメリカの名門・コロンビア大学教育大学院で認知科学について学んでいます。偏差値30だったビリギャルが、世界のエリートが集まる大学になぜ挑戦することになったのでしょうか。 【写真】「私はビリギャルです」とエッセーに書いた小林さん
――コロンビア大学教育大学院への留学を決めた理由を教えてください。 大きい理由は2つあります。1つは「ビリギャルを科学的に証明できるようになりたい」と思ったこと。2013年に坪田信貴先生が私のことを書いた本*が出てから、昨年末でちょうど10年でした。私は慶應大学卒業後、ウェディングプランナーとして楽しく働いていたのですが、本が注目されたことで急に昔の話が盛り上がって、学校などで講演会を頼まれるようになりました。若い人のためになるならと引き受けてきたけれど、そのうちだんだん「私、なんか偉そうだな」「何年前の話をしているんだろう」と疑問に思うようになったんです。 講演を聞いた子たちは「さやかちゃんのおかげで人生が変わった」などと、涙ながらに語ってくれるのに、私はあれから何に挑戦したのか、と。振り返ってみたらずっと、自分自身の成長や自己実現の視点が欠けていたと気づきました。 *『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(アスキー・メディアワークス刊)。小学校4年生程度の学力しかない高校2年生のギャル、さやかちゃん(小林さん)が、著者である坪田信貴先生の指導を受けて学力偏差値を上げ、慶應義塾大学総合政策学部に現役合格するまでを描いた実話。120万部のミリオンセラーを記録し、2015年に土井裕泰監督、有村架純主演で映画化もされた。 ――それで2019年に聖心女子大学大学院に入って学んだのですね。でも、さらにアメリカの大学院へ進んだのはなぜでしょうか。 それが理由の2つ目でもあって、国内の大学院では自分のコンフォートゾーン(居心地のいい環境)を抜け出せたという感覚がなかったんです。現役で大学受験したときのような、アドレナリンが出る感じがなくて。もっとガツンと挑戦している姿を見せないと、子どもたちに何を言っても説得力がないと思い、「こうなったらもう次は海外だ!」って。それで、もっと学びたいと思っていた認知科学の研究が進んでいるアメリカへの留学を決めました。 ――受験に関して、日本とアメリカとの違いはありましたか。 全く違いますね。日本の大学受験は過渡期にあると思いますが、まだまだ入試を受けた瞬間の「点」で勝負が決まりますよね。それまでどれだけサボっていても帳消しになるし、だから一発逆転でビリギャルが生まれることも可能なわけです。でも、アメリカでは高校時代からのGPA*をすべて審査官に見られることからもわかるように、受験までの人生をすべて「線」で評価されます。自分が生きてきた人生と、自分が今学びたいこと、そしてその大学や大学院じゃなきゃだめな理由との整合性を、エッセーでしっかり自分の言葉で語れなければ合格できません。そういう意味では、私はビリギャル本人として活動するなかで経験したさまざまな思いやビジョンが明確にあったので、書くことには困りませんでした。 *Grade Point Average(成績指標値)。科目の成績を点数化し、その合計点を単位数で割って出された平均値のこと。 ――「私はビリギャルです」とエッセーに書いたのでしょうか。 書きました! でも実はアメリカには、日本的な「ビリ」という概念がないんです。「どういうこと?」ってわかってもらえなかった。テストの点数で、ビリとかトップとかの順位をつけないから。「bottom girl」と言うしかない。だからビリギャルの映画が英訳されたときも、タイトルは「大成功を収める」という意味の「Flying Colors」になりました。中国語ではそのまま、底辺少女みたいな意味の「墊底辣妹」で通じるんですけどね。他の人と比較しない西洋的な側面に、文化の違いを感じました。