女性芸能人の改名いろいろ 地味な変更から大改変、オークション売却まで
ステータスが上がるたびに改名してきた、華原朋美
華原朋美の改名は有名だ。デビューまもないころは、当時所属していた事務所の先輩にちなんでつけられた“三浦彩香”という芸名をおもに使用していたが、やがて“遠峯ありさ”に改名。アイドルとしてバラエティー番組などで活躍し、人気を得ていた。その後、小室哲哉と出会い、事務所を移籍すると“華原朋美”となった。 「改名するたびにステータスを上げていったというか、ステータスが上がるたびに改名したというか。華原朋美という名前は小室プロデュースのアーティストとして、90年代に一世を風靡しましたが、小室との破局や長期に渡る活動休止を経てカムバックした現在もなお、この名前を大事にしているようです。ただ、英語表記に関しては、30歳を迎えた2004年に、小室プロデュース時代から使っていた“Kahala”を“Kahara”に変更しています」と、音楽メディアの40代女性編集者は話す。
最初の芸名をオークションで売った樹木希林 その芸名を受け継いだのは?
面白いケースとしては、樹木希林が見逃せない。1961年に文学座付属演劇研究所に入ってから、“悠木千帆”という芸名で女優活動を開始した。64年に森繁久彌主演のドラマ「七人の孫」にレギュラー出演し、一躍ブレークしてからも悠木千帆として知名度を高めた。74年放送のドラマ「寺内貫太郎一家」では小林亜星が演じた貫太郎の実母役を熱演した。沢田研二のポスターを眺めて「ジュリーィィィ!」と腰を振りながら悶えるシーンはあまりにも有名だが、このときもまだ芸名は悠木千帆だった。それがあるとき、なんと芸名をオークションで売ってしまったというのだ。 「77年にテレビ朝日が「日本教育テレビ」(NETテレビ)から名称変更しましたが、その際の記念特番でチャリティーオークションが行われ、売る物がないと芸名“悠木千帆”を競売にかけたんです。知人の世田谷の飲食店店主が2万円ちょいで落札して、芸名がなくなったために“樹木希林”に改名しました」と、地上波放送局の50代男性プロデューサーは振り返る。 ちなみに売却された旧名は、2004年に飲食店店主から女優の山田和葉に無償で譲渡され、現在は山田が悠木千帆 (2代目)を名乗っている。一昨年、高畑充希が主演したNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で出版社に庶務担当として加わった岡緑役を演じたことが話題になった。 他にも改名した芸能人は多数いるが、あなたの印象に残る改名にはどんなものがあるだろうか。 (文・写真:志和浩司)