第171回芥川賞候補作! 尾崎世界観が「転売」をテーマに、配信時代の音楽の価値を鋭く問う
――この作品は音楽ビジネスも含めたエンタメと資本主義の問題についても考えさせられます。例えば、仕事に関係なく、誰もが同じ給料をもらえる世界だったとしても、尾崎さんは歌を歌っていましたか? 尾崎 面白い質問ですね。どうだろう? 曲は作るかもしれませんが、もう歌は歌わないかも。でもイヤですね、そんな世界......(苦笑)。 ただ、なぜイヤだと感じるのか。それが、この小説ともつながると思うんですよね。自分の出す作品の価値をどこで測るのかという問題。 音楽ビジネスの現状でいうと、今のストリーミング時代、大量の音楽が定額、無料で聴かれる状況に最初は違和感がありましたが、今はもう「そういうものだ」と考えるようになりました。 その上で、この『転の声』で書きたかったのが「数字が壊れてきている」という点です。CDの時代は100万枚というのがヒットのひとつの基準でした。 でも今は再生回数が1億とか10億と、とんでもない数字になってきている。その一方で、そうした再生回数が本当に自分たちの音楽への評価を反映しているとも限らない。 そんな数字が壊れた時代に、自分たちの評価軸をどこに置くかが、この世代のミュージシャンにとっての難しい問題だと思っています。特にコロナ禍を経てのここ数年は、「自分たちのライブを観に来てくれる人がどのくらいいるか」が大事だと考えていて。 やっぱりファンの存在がすごく重要なんですよね。ひと言で「ファン」と言っても、その中には性別も年齢も出身も異なるさまざまな人たちがいて、それぞれが異なる状況の中で自分たちの音楽を好きになってくれている。 ほとんど会ったこともない人たちが、自分たちのことを信じてくれているというのは、すごく貴重なことだと思うんです。 そんな多様でデコボコなファンの存在がなければ、そして、そのひとりひとりに異なる感性や感想がなかったら、おそらくそこに自分の表現をぶつけたいとは思わない。 どんな感想でも、そのひとつひとつに、再生数などの数字では表すことのできない価値がある。 メジャーデビューする前年に東日本大震災があって、数年前にはコロナ禍があり、定期的に自分たちのやっていることに意味はあるのかという問いに直面してきました。 でも、そうした極限状態の中でも「人にわかってもらえない可能性があるもの」に一生懸命向き合えたのは本当に幸せなことだと思います。それこそが実はとても尊いものなんじゃないかと思うんです。 ■尾崎世界観(おざき・せかいかん) 1984年生まれ、東京都出身。ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル、ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。著書に『祐介』『苦汁100%』『苦汁200%』(すべて文藝春秋)、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』(KADOKAWA)など。20年『母影』(新潮社)に続き、24年『転の声』が芥川賞候補に選出 ■『転の声』文藝春秋 1650円(税込) 舞台はライブチケットの転売が今よりも市民権を得ている社会。アーティストも購入するファンも、チケットにプレミアがつき高額になることを望む。しかし、ロックバンドのフロントマン・以内右手は長引く喉の不調で、自分のアーティストとしての価値が落ちていく、そんな不安にさいなまれる。ついつい見てしまうSNSのファンの声やチケットサイトでの転売価格にも悩まされ、とうとう"カリスマ転売ヤー"にすがりついてしまう 構成/川喜田 研 撮影/鈴木大喜