ミン・ヒジンが作ったK-POPグループ。
少女時代、SHINee、f(x)、EXO、Red Velvetなど、数多くのクリエイティブに携わってきたミン・ヒジンは、デザイナーの枠を超え、プロデューサーに。彼女の飛躍と今後のK-POPの未来は? 【動画】NewJeans「ETA」のぶれない振付は誰が作った?
2022年にデビューした新星NewJeansは、ほかのグループがK-POPの成功法則に倣った楽曲を追求する中、ファンではなくともプレイリストに入れておきたくなるイージーリスニングな楽曲で、韓国のみならず、世界的アイコンとなりつつある。彼女らをプロデュースする所属レーベルADORの代表取締役でもあるミン・ヒジンは、このムーブメントのいちばんの立役者だ。しかしK-POP を知る人からすれば、彼女は現在世界で評価されるK-POPの視覚表現の基盤を20年前に築き、最も影響を与えたクリエイターとして記憶されているはず。ADORの親会社HYBE創設者でBTSの生みの親としても知られるパン・シヒョクは「K-POPとビジュアルディレクションを融合させた先駆者」と彼女を評している。これまでのNew Jeansの躍進を紐解くには、彼女が自身のレーベルを創設する以前、19年まで在籍したSMエンタテインメント(以降SM)でのクリエイティブから振り返る必要がある。
――スタイルを確立したSM時代。
ミン・ヒジンが大学で視覚デザインを学んだ後、SMに入社した02年は、K-POP史だと第一世代から第二世代への過渡期となる。入社当初はSMですら社内にクリエイティブ関連の包括的な部署がなかったが、彼女はデザイナーというポジションで役職を超えた挑戦的な提案と実績を積み重ね、徐々に制作システムを確立し、総合的なクリエイティブディレクションを一任されるようになった。少女時代ではカラースキニーボトムを多彩に使いこなすなどファッションのトレンドを先導し、SHINeeではそれまで男性アイドルには珍しかったカラフルでボーイッシュなスタイリングにいちはやく挑戦。f(x)ではMVとは異なる実験的アートフィルムを限られた予算内で自身が企画・監督を行い、インスタレーションの展示を行うなど、大衆音楽に芸術的なエッセンスを付加。EXOでは、ティーザー動画をヒントにしたファン参加型の謎解きプロモーションでSNS時代の新しいアプローチを成功させた。Red Velvetでは、サイコホラーを思わせる設定を、アイドルの世界観に巧妙にマッチさせるなど、写真やイメージのディレクションにおいて大手事務所とは思えない挑戦を続けた。