32年ぶり“ジャイアントキリング”起こした東北大OBの今 大学野球の「成功体験」を人生に生かす
「苦労」重ねた4年間が将来の糧に
東北福祉大に土をつけた試合で9回1失点完投勝利を挙げるなど先発の柱を担った小池さんは、NTT東日本(東京都新宿区)に就職。元々地方創生に関心があり、全国各地に支店を置いて地方にサービスを行き届かせている同社を選んだ。現在はNTT東日本の取り組みなどを紹介するショールームの企画、運営に取り組んでいる。 現役当時は最速143キロを誇り、強豪相手に好投する機会もあったため、社会人野球に進もうと検討する時期もあった。しかし、トヨタ自動車硬式野球部の練習に体験参加した際に「実力不足」を痛感し、継続は断念。大学卒業と同時にユニホームを脱ぐ決断を下した。
ただ、大学野球の経験は間違いなく今に生きている。小池は「大学ではしんどい思いをした時期が長くて、最後に福祉大に勝つというほとんどの人が無理だと思っていたことを達成できた。今は仕事で『自分の能力が低い』と不安になる時もあるんですけど、大学で苦労と成功体験をしたからこそ、『目の前のことをがむしゃらにやればいつかは自信を持てるようになる』と粘り強く生きられるようになりました」と胸を張る。 特に「しんどさ」を感じたのは3年秋のリーグ戦。仙台大戦で救援登板し、リードを守り切れず負け投手に。その一戦でやる気と自信を失い、翌週の東北福祉大戦は鈴木得央監督に「ベンチに入りたくない」と直談判した。「自分のせいで負けた。チームに居場所はない」。周りの目を気にする性格も相まって、極限状態に陥った。 それでも、その後のオフ期間は目の色を変えて練習に励み、大学ラストイヤーで快挙を成し遂げた。小池さんは「福祉大に勝った日のことが特別記憶に残っているわけではない。1、2、3年生の頃の苦労と同等の、4年間の1パーツとして思い出に残っています」と語る。そしてその4年間を、社会人として生きる上での活力にしている。
「思い切り」野球やるため学業と両立
小池さんと二枚看板を張った瀬戸さんは、東北大大学院に進みロボット関連の研究を行っている。今でも時折、東北大硬式野球部出身の大学院生が所属する草野球チームで野球を楽しんでいるという。 神奈川の強豪・桐光学園出身で、高校時代は1学年上に中川颯投手(現・横浜DeNAベイスターズ)、同学年には渡部遼人外野手(現・オリックスバファローズ)がいた。「将来野球で飯を食っていくであろう人たちを見て、自分はまったくそのレベルではなかったので、大学で野球を楽しんで終わろうと思いました」。その言葉通り、大学では試合に出られる喜びを噛みしめながらプレーした。 大学院に進む場合、4年の夏頃に大学院入試を受験する必要があるが、成績上位者は受験を免除される。瀬戸さんは「最後に思い切り野球をやる」ことを目標に下級生の頃から勉強にも精を出し、見事免除を勝ち取った。4年時は投手リーダーを務め、単に野球を楽しむだけでなく、上に立つ自覚を持って投手陣を牽引した。