「おじさんが羨ましい」リトラクタブルライト、ライトウエイト、キャブ…現代では味わえない車の楽しさ
平成、令和にかけてクルマに関する安全基準や法律、そして環境への意識が変わり、また、技術も飛躍的に進化したことで、かつてよりも安全にカーライフを楽しめるようになりました。しかしながら、昭和から平成初期のクルマには、現代にはない魅力があったようにも感じます。そのいくつかを振り返ってみましょう。 【おじさんは見た・乗った】1989年は日本車が世界の頂点に!どんなクルマがあった
■世界で日本車が高く評価されるようになった昭和時代
戦後間もなくの1950年代半ば頃から、日本は高度経済成長期に突入しました。クルマに関しても、日本政府による「国民車構想」によって、モータリゼーションの波が急激に押し寄せることになります。 1962年(昭和37年)には鈴鹿サーキットが完成し、翌年第一回日本グランプリが開催されると、国産車の高性能化が競われるようになりました。スカイライン伝説、トヨタスポーツ800とホンダS600の対決などが注目されるようになったのもこの頃です。
1960年代後半には、トヨタ2000GT、日産 フェアレディZ、マツダ コスモスポーツといった、世界でも高く評価されるようなスポーツカーが誕生し、1970年代には(日本車の)輸出も盛んになっていきます。そして1980年(昭和55年)、ついに日本の自動車生産台数が世界一に。その後も国内の自動車産業は成長を続け、1980年代後半のバブル期に開発・誕生したクルマは、「壊れにくくて燃費がいい」と世界で高く評価され、日本車の名声を確固たるものにしました。 平成元年にはトヨタ セルシオ、日産 スカイラインGT-R(R32)、ユーノス ロードスター、ホンダ NSXといった、昭和の自動車史を締めくくるにふさわしい名車が誕生しました。
■とにかくヘッドライトがかっこよかった!!
スイッチを操作するとウィーン!! とヘッドライトが出現するリトラクタブルヘッドライトは、昭和のスポーツカーを特徴づける装備のひとつでした。トヨタ「MR-2」や「スプリンタートレノ」、マツダ「RX-7」などが代表的です。
しかしリトラクタブルヘッドライトは、展開時に空気抵抗が増すことや、開閉機構搭載による重量増、製造コストの高さ、突出したライトの形状が対人事故の際に危険であることなどの理由で、次第に採用されなくなっていきました。現在のクルマのヘッドライトは、LEDライティング技術によってデザイン性が高くなりましたが、このリトラクタブルヘッドライトのギミックは、現在のクルマにはない、ワクワクさがありました。