【紀州のドン・ファン】入籍直後に「離婚届」を突き付けられていた元妻、初公判で検察が明かしたドス黒い検索履歴
■ 「私は社長を殺してないし覚醒剤も飲ませていない」 驚きの検察側の冒頭陳述だった。「紀州のドン・ファン事件」の初公判で、いったい検察はどのような冒頭陳述を用意しているのか、そして殺人の罪に問われている元妻・須藤早貴被告は黙秘をするのか、この2点に大きな注目が集まっていたが、検察の冒頭陳述はこちらの予想をはるかに超える詳細なものだった。 【写真】「ドン・ファン」野崎幸助氏の葬儀で喪主を務めた、喪服姿の早貴被告 9月12日に開かれた和歌山地裁での初公判では、和歌山地裁で一番大きな法廷だったが、傍聴希望者が多く抽選となった。 予想されていたことだが、罪状認否で早貴被告は、「私は社長を殺していませんし覚醒剤を飲ませたこともありません」と起訴内容を否認した。 次に検察官による冒頭陳述が始まった。 「裁判員裁判ということで、裁判員に対して懇切丁寧に説明をしようとする検察側の姿勢が見えました。ただ分かりやすくしてあるのですが、事件の登場人物がアルファベットで示されているので、事件を詳細に知らない人にとっては分かりにくい部分が多かったのではないかと感じました」(大手紙・司法担当デスク) まずは事件をおさらいしていこう。 和歌山県田辺市の資産家で「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(享年77)が自宅2階の寝室で怪死体となって発見されたのは2018年5月24日の夜10時過ぎのことだった。発見したのはこの年の2月8日に入籍したばかりの55歳年下の妻・早貴被告(当時22歳)であった。 17年12月10日に早貴被告と知り合った野崎氏は、すぐに彼女と結婚したいと願うようになっていた。2012年に前妻と離婚して子供もいなかった野崎氏はその後はずっと一人で愛犬イブと暮らしており、若い女性との再婚を願っていた。ただ、なかなかその願いが叶うことなく、6人ほどの女性に結婚を申し込んでいたが全員が彼の下を去っていた。
17年の秋まで野崎氏と付き合っていたN子さんはこう語る。 「両親に野崎社長との結婚を相談したところ烈火の如く怒られてしまって『絶対に認めないから』と言われてしまって別れることにしたんです。ブランドのバッグなど多くのプレゼントも貰っていたので申し訳ないと思っていたのですが……」 ■ 「なぜ別れなければいけないの?」 早貴被告と知り合った野崎氏は、17年の年末、早貴被告と親交を深めるため、都内のホテルで会食した。その場には横浜市内に住む野崎氏の妹と、彼と親交があったジャーナリストの吉田隆氏も呼ばれて同席している。 吉田氏は17年12月10日のドン・ファンと早貴被告の初対面の場にも居合わせており、この日も野崎氏に呼ばれて駆け付けたのだという。 「2人の会話はさほど弾まず、野崎氏は私に会話の潤滑油になって欲しかったのでしょう。もちろんこの時は、その後に2人が入籍することなど全く予想をしていませんでした」(吉田氏) 年が明けた18年1月の初頭、吉田氏は野崎氏から「(早貴被告が)電話に出なくなった。なんとか説得してくれ」と頼まれていた。吉田氏は早貴被告と連絡を取ろうとしたが、やはり電話が繋がらず、ようやく3日後に繋がったのだという。 「寝起きなのか機嫌が悪い声でした。私は彼女に『ドン・ファンと別れるのかい?』と聞いたんです。〈はい〉という返事を予想していたんですが『なぜ、(私が)別れなければいけないのですか?』と言ったので驚いたことを覚えています。今までドン・ファンが付き合ってきた女性たちとは全く違っていたのですから」