【Playback箱根駅伝】第17回/日大が往路・復路とも制して2連覇達成 同年ベルリン五輪代表も疾走
2024年に箱根駅伝は第100回大会を迎える。記念すべき100回に向けて、これまでの歴史を改めて振り返る『Playback箱根駅伝』を企画。第1回大会から第99回大会まで、大会の様子を刻んでいく。(所属などは当時のもの) 第17回箱根駅伝の総合成績&区間賞をチェック!
第17回(1936年/昭和11年) 日大が連覇達成!往路・復路とも2年連続完全 横浜専門学校初出場
前回出場の13校に初出場の横浜専門学校(現・神奈川大)を加えた14校が参加して行われた。 レース序盤にリードしたのは14、15回と連覇している早大。1区の朝倉充が区間賞を獲得すると、2区の島野信一も区間3位で先頭を死守した。 しかし、1区で9位と出遅れていた中大が、2区の栗本仁が区間賞の走りで4位に浮上。3区では、この年に行われたベルリン五輪の5000mと10000mで4位入賞を果たすことになる村社講平が区間賞の快走を見せて首位を奪った。 2連覇が懸かる日大は4区から反撃を開始。3位でタスキを受けた細川欽三が区間賞で、早大を抜いて2位に上がると、5区では2年連続の山上りとなった鈴木房重がこちらも区間賞の快走で中大をかわす。勝負を決めて往路2連覇を果たした。 鈴木は後にベルリン五輪のマラソン代表に選ばれるが、本番直前に現地で体調を崩して補欠に。不本意ながら10000mに回った不運の選手でもある。 日大がトップをひた走る復路。そこから5分10秒差の2位でスタートした早大は6区・大野正次の区間賞で3分6秒差まで追い上げるた。しかし、日大は7~9区の松永重、棚木大、鈴木勇が3区間連続で区間賞を獲得して勝負あり。早大を大きく突き放した。 前回同様に日大が往路、復路ともに制して総合2連覇を達成。2位の早大に6分17秒差をつける完勝だった。 この年に3区を走った森本一徳は第11回大会から連続7回(歯学部4年、法学部3年)で出場。後年、日大監督、関東学連会長などを歴任した。 ベルリン五輪マラソンは日本統治時代とあって日本代表として出場した朝鮮半島出身の孫基禎が金メダルに輝いたが、同じ朝鮮生まれで、同年に明大の3区を走った南昇竜が銅メダルを獲得している。 参考文献:箱根駅伝90回記念誌(関東学生連盟)
月陸編集部