講習会から始まったイベントは今や世界が注目する音楽祭に…創設者の思いを受け継ぎ大輪の花に育てた音楽監督は、80歳を超えてなお、さらなる高みを追求する
芸術や産業経済など各分野で郷土の発展に貢献した個人・団体を顕彰する第75回南日本文化賞(南日本新聞社主催)は1個人、2団体に決まった。 【写真】「霧島国際音楽祭を50回、100回に向けて発展させたい」と語る堤剛さん=東京・渋谷
学術教育部門の堤剛氏は日本を代表するチェロ奏者で、2001年から霧島国際音楽祭の音楽監督。45回の節目だった今夏は東京公演を成功させるなど、歴史ある音楽祭として国内外に定着させた。 学術教育部門の川内大綱引保存会(会長・橋口知章氏)は薩摩川内市で400年以上続く伝統行事「川内大綱引」を存続させる目的で1985年に設立。子供大綱引を催して後継者育成に尽力し、健全な行事開催にも努め、今春、国の重要無形民俗文化財に指定された。 社会部門の奄美マングースバスターズ=代表者・松田維(たもつ)氏=は環境省の委託で2005年結成。毒蛇ハブ駆除のため奄美大島に持ち込まれながら、島固有の希少種を襲っていたマングースの捕獲を進め、環境省が今年9月に根絶を宣言した。活動は世界自然遺産登録の際にも高く評価された。 贈賞式は11月1日、鹿児島市の城山ホテル鹿児島である。 ◇ 日本を代表するチェリストで、2001年から霧島国際音楽祭の音楽監督を務めている。創設者の一人、ドイツ人バイオリニストの故ゲルハルト・ボッセさんの後を継いだ。「先生の思いをつなぐのは大きな責任だったが、音楽仲間に恵まれて続けてこられた」
今夏、音楽祭は第45回の節目を迎えた。「地道に積み重ねた結果、大輪の花を咲かせることができた」。総勢約100人の「キリシマ祝祭管弦楽団」には、国内外の著名な交響楽団の首席奏者らが名を連ね、記念公演と11年ぶりの東京特別公演は大盛況に終わった。 うれしい出来事もあった。主会場のみやまコンセールのロビーを歩いていた時、北海道から霧島市に移住してきたというファンに声を掛けられた。ボッセさんも大事にしていた「音楽を通じた人の輪の広がり」を肌で感じた瞬間だった。 ユースホステルでの講習会から始まり、今では世界から注目を浴びる音楽祭に成長した。「霧島に行ってみたい」という講師や受講生は国内外で増えている。「地元の力強いサポートのおかげ」と感謝。第50回、第100回に向け「今後は他の音楽祭とも連携したい。世界のクラシック音楽界に貢献する」と前を向く。 音楽祭に講師として初めて参加したのは1991年。「緑が多く、空気が澄んだ素晴らしい自然に感動した」と振り返る。そこから30年以上にわたって祭典に関わり、「人の温かさに触れ、音楽家としても成長することができた」と話す。
両親の影響で6歳から音楽を始め、チェロを「自分の一部」と表現する。国内外の第一線で活躍し、80歳を越えた今も精力的に舞台に立っている。「人生をより豊かにし、社会平和に貢献できたら」。体力がある限り音楽の可能性を追求する覚悟だ。 ◇ 【略歴】つつみ・つよし 1942年、東京都出身。チェロ奏者。桐朋学園で齋藤秀雄氏に師事。63年カザルス国際コンクール第1位。世界各地でオーケストラと協演、リサイタルを開催。日本芸術院会員、紫綬褒章、文化功労者。鹿児島県民表彰。サントリーホール館長。10月に文化勲章受章が決定。
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