卑弥呼の謎に迫る古代吉備の至宝が崩壊危機 埴輪起源「特殊器台」修復プロジェクト始動
古代の吉備国(現在の岡山県)の至宝「特殊器台」の修復プロジェクトが、所蔵する岡山大(岡山市北区)で始まった。弥生時代最大の墳丘墓として知られる「楯築(たてつき)墳丘墓」(同県倉敷市)から出土した破片を復元したもので、「埴輪(はにわ)の起源」とされるが、劣化によって崩壊の危機にひんしている。プロジェクトに取り組む同大大学院考古学研究室の清家章教授(57)は「傑出した価値がある至宝で、修復は長年の懸案だった」と話している。 ■卑弥呼の墓にも? 特殊器台は古代吉備国が発祥とされる弥生時代後期後半~終末期(2世紀後半~3世紀前半)の筒形土器だ。 清家教授によると、弥生時代の壺は底が平らではなく、自立できないため載せる台が作られた。集落跡から出土する器台は高さ20~40センチほどで生活用だが、首長の葬送儀礼の道具として使われるために大型化し、多数の文様が施されたのが特殊器台という。 今回修復する特殊器台は口縁部と脚部が張り出した円筒形で、高さ約112センチ、口縁部と脚部の直径約47センチと大型だ。 特殊器台は邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説があり、最古級の前方後円墳とされる「箸墓古墳」(奈良県桜井市)を含む畿内の古墳4カ所や出雲(現在の島根県)でも出土。「吉備の中で変遷し、あるときに大和地方に取り込まれ、特殊器台形埴輪を経て、円筒埴輪が生まれた」というのが定説となっている。 ■謎を抱えた墳丘墓 今回修復するものを含めて約30基分の特殊器台の破片が出土した楯築墳丘墓も謎を抱えている。 推定全長約83メートルと弥生墳丘墓としては最大級の大きさで、宅地開発の影響で現在は原形をとどめていないが、当初の形は円丘と、その東北側と南西側に突出部を備えた「双方中円墳」だった。 岡山大などの調査団は昭和51年から平成元年までに計7回にわたって楯築墳丘墓で発掘調査を実施。特殊器台を含む多くの発見や、それを基にした名論文が生まれた。 古代の王墓の変遷をたどると、北部九州でみられる弥生時代中期の甕棺墓から、古墳時代にヤマト王権の象徴として築かれた前方後円墳へと変遷する過程に、出雲や吉備で作られた弥生墳丘墓の時代が位置付けられる。