47歳・糸井羊司アナが視聴者に届ける言葉のバトン…「NHKニュース7」メインキャスターが語る自らの役割
NHKの看板報道番組「NHKニュース7」(後7時)の月~木曜のメインキャスターを務めているのが入局25年目の糸井羊司アナウンサー。長らく緊急報道に携わり、自分の仕事について「バトンを渡す役割」と話す。今年は10月の衆院選開票特番のキャスターなど、日本の印象的な場面の伝え手を担ったが「刀を磨き続けたい」と思いを語った。(宮路 美穂) インタビューを始めようとすると、糸井アナは「そもそも、今回なぜ私に声をかけていただいたんですか?」と心底、不思議そうに尋ねた。その話しぶりに謙虚な人柄がにじむ。「全然目立つ仕事をしてきたつもりがない。47歳で『ニュース7』を担当してるっていう姿は全く想像つかなかったですね」 この春から「ニュース7」を担当し、約8か月が過ぎた。「ニュースを伝えるということは、自分の中ではバトンを伝える役割だと思っているんです。バトンって渡し方によってビシッて来る時もあれば、どうしてもっと受け取りやすいように渡してくれないんだろうとか思う時もあるじゃないですか。人に言葉を投げかけるっていうのも似ているところがあって、違和感なく受け止めてもらえるようにということを考えてお伝えしています」。手元の原稿に書かれている根幹は何か、想像力を働かせながら生放送に臨む。 元日の能登半島地震から始まった2024年。1月2日には羽田空港での日航機の衝突事故のニュースを事故発生から乗客・乗員の脱出まで報道フロアから伝えた。「海上保安庁の方が亡くなられたのは本当に残念なことですし、能登半島地震がなければ起きなかった事故ではある。それでも乗員・乗客379人が全員無事だったというのは結果だけを見れば歴史に残る話。ここまで緊急報道に携わってきたなかで大きな出来事でした」 脳裏に焼き付いている記憶がある。「入局直前の2000年の3月、地下鉄の日比谷線が脱線した事故があったんです。内定者ではあるけれど、視聴者としてニュースを見ていましたが、そのときに末田正雄さんが担当された特設ニュースがすごかった。ただ映像を描写するだけではない。断片的な情報と、入ってくる生の映像をもとに、自分で組み立てて情報を伝えられていた」 当時は報道アナウンサー志望ではなかった。「ただ、もし何かの機会にこういう緊急報道を務めなければいけないのだとしたら、何がニュースかを読み取り、事実をベースにアドリブで伝えなければいけない。今回の羽田空港の事故で自分がやる立場になったんだな、と。5人の方が亡くなったという事実は大きいので、いい報道ができたとは決して言えないんですが、379人の乗客乗員が助かったというのを、誤りのない事実の積み重ねで伝え切ることができたので、役目を果たせたのかなとは思います」 幼少期からテレビが大好きだった。この日の取材でも、3歳のときに民放の子ども番組から贈られたバースデーカードを持参。「私の一番古い記憶です。誕生日のお友達を紹介するコーナーで『自分の写真を出してくれ』って親に言っていたらしい。結局映らずにカードが送られてきたのですが、そのころからテレビに自分の姿が映るっていうことになんか憧れがあったんでしょうね」。小学生のころには視聴者参加型のクイズ番組で優勝。「味をしめたというか、遠い世界だったテレビを近くしてくれたんですよね」 アナウンサーとして、出演する側となった今でも、視聴者目線は忘れていない。衆院選の開票特番では、初の国政選挙のメインキャスターを務めた。政治とカネの問題で揺れるなかで行われた選挙。「一言で言ってしまえば、開票速報が一番、究極の生放送なんだなって思ったことですね。やってみて初めて気づいたんですが、緊急報道の経験がそのまま生きた。事実を積み重ねていく中で、映像が飛び込んでくる。この映像が差し込まれる意味はなんなのか、どうコメントをすればいいのか…」 自作のメモを手元に置き、あらゆる可能性を頭に入れながら進行。「見ていただく方、聞いていただく方を裏切ることのないように、一歩進んだ形で伝えられる備えはできたかな」と安どの表情を浮かべる。 報道の担い手として、糸井アナは自らを「職人」と称する。「自分のスキルを高めることを私たちは『刀を磨く』という言い方をしますが、緊急報道をミスなく終えられるのも普段から刀を磨いていたかどうか。40代後半になりますけど、ずっと研ぎ続けることには変わりはない。刀を磨くことが嫌になったら、この仕事からは身を引くときだと思いますし、磨くことが楽しいと思い続けている限りは、選挙だろうが何だろうが、任せてもらえたものにはきちんと応えていきたいですね」。毎分、毎秒と研ぎ続けている刀とともに、報道の道を進んでいく。 ◆糸井 羊司(いとい ようじ) ▼経歴 小学校卒業まで三重・四日市市で育ち、中学から神奈川・川崎市に引っ越し。2000年度に入局し、福島局→名古屋局→東京アナウンス室→札幌局→東京アナウンス室 ▼ほかの担当番組 「映像の世紀 バタフライエフェクト」(ナレーション) ▼「ザ・ベストテン」愛 「小学6年生のころに『ザ・ベストテン』の順位発表をやりたい」というのが、最初にアナウンサーになりたいと思ったきっかけ。「歌手を新幹線のホームから追いかける生放送の躍動感や、ボードで何が出ていくんだろうというドキドキ感があったりと、生の番組の魅力に引き付けられた結果、今があります」。司会の黒柳徹子とは一度だけ会ったことがあるといい「一緒にお仕事させてもらうことが自分の願望。報知新聞さんのお力でなんとかなりませんか…?」。 ▼猫 猫好きの妻や同期の小山径アナらの影響で、昨年メスの保護猫を迎え入れた。「実際飼ってみたら、何をつべこべ言ってたんだろうと思うぐらいかわいいですね。イラッと来ることがあっても、猫に顔を埋めておけばなんとかなります」 ◆糸井アナのイチオシ 鉄道が好きだというのは、結構世の中に知られているんですけど、実は原点というか、もともと好きだったのはバスなんです。今のバスは行き先表示が電光掲示板ですが、昔は幕で回っていた。持参してきたのは、バスの側面の実物です。三重交通から廃品として出されていたものを、先日手に入れました。「ザ・ベストテン」の(順位の)パタパタもこれも、共通するのは情報が変わって、ピタッと止まるものが好きなんだなと思います。 私の生育地が三重・四日市で、この43番が私の路線です。山崎町という場所がまさに私の生まれ故郷。子どもの頃、数字と漢字はだいたい方向幕で覚えましたね。幼稚園の友達と幕を作ってバスごっこをしたこともありました。 今じゃ考えられないですけどね。当時は子供ひとりでバスに乗せてくれたんです。バスの整理券が欲しくて、終点まで乗せてもらって、運転手さんに「整理券を1番から出してもらえませんか?」とお願いしたり。故郷を離れてもう30年以上たつので、こういった懐かしいものを見ていると、自分の生まれ故郷に思いをはせる自分がいる。アナウンサーとして刀を磨く気がなくなったら、地域交通に貢献するのも面白いかなとか思いますね。(談)
報知新聞社