「決め手はそこ」 背負った友の無念/松山英樹がパリ五輪を語る<前編>
人見知り発動…から意気投合
「今年仲良くなった人が、残念ながらオリンピックでプレーできなくなった。その人の姿を見ていると、オリンピックでプレーすることの特別さを理解した…いや、し切れてはいないと思うんですけど、すごいことなんだなと改めて思ったので、出られなくなった人たちの分も、しっかり頑張っていきたいなと思います」 パリで開幕前に語っていたのは、21年「東京五輪」で銅メダルを懸けた7人プレーオフに敗れたリベンジよりも強い“仲間”への思い。メダルを勝ち取ったル・ゴルフ・ナショナルのミックスゾーンでも名前を伏せた友人は、ハンドボールの東江雄斗(あがりえ・ゆうと)選手だった。
「初対面で話した時とかね、お互い人見知りなんで、(なかなか)しゃべれない。でも、2、3時間経って、話していく中で面白いなっていう感じがお互いにあって」 昨年10月のアジア予選で主将として2大会連続の切符獲得に貢献した東江選手。前回東京は開催国としての出場だったため、自力では1988年ソウル五輪以来の快挙でもあった。しかし、オリンピック本番の最終メンバーからまさかの落選となった。 「彼は当然選ばれる立場だったと思うんですけど、落選してしまった。(パリ五輪に)出ようと思ったきっかけは“そこ”ですね。最終的な決め手になったのは、そこです」
傷心気遣い「飲みに行こう」
ハンドボールのメンバー発表を受け、松山はすぐにLINEでメッセージを送ったという。「『大丈夫かー?』って聞いたら、『大丈夫じゃない』って。『じゃあ、飲みに行こうぜ』とか言いながら…」。当時のやり取りを冗談めかしつつ、目の当たりにしたオリンピックという一世一代の舞台に懸けるアスリートのリアルな姿に揺さぶられるところがあった。 「これまでオリンピック選手と関わることがなかったので。ゴルファーも争っている中で出られる人、出られない人がいますけど、ほかのスポーツとゴルフは、ちょっとまだ(五輪の位置づけも異なる)。僕の意識づけも違いますし。彼が身近にいたことで、やっぱり出られることって特別なんだな、出るのは当たり前じゃないんだな、みたいな感じがありました。やっぱり出場して、結果を出して、また会いたいなって」 競技の枠を超えた友の無念も背負う形で出場を決めたパリ五輪。表彰式を終えて「帰ったら(東江に)見せつけてやりますよ」とうれしそうに笑った銅メダルをつかむまでの戦いは壮絶を極めた。(聞き手・構成/亀山泰宏)