中田英寿の振る舞い「まさにプロ」…共闘の元ブラジル代表が感嘆、将来は「日本で監督したい」【現地発】
ペルージャで共闘のゼ・マリア氏、「フェノメノになっても、ヒデは謙遜心を持っていた」
日本サッカーを長年牽引してきた中田英寿氏は、1997年7月にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)からイタリア1部(当時)ペルージャに移籍し、輝かしいキャリアを積む欧州での第一歩を刻んだ。各国から猛者が集まるペルージャにて、日本の若武者は圧巻のパフォーマンスで地歩を固めたなか、共闘した元ブラジル代表DFのゼ・マリア氏は「ヒデはとにかく頭がいい」と絶賛する。ペルージャでのイベントに参加し、ブラジルでのバカンスからイタリアに戻ったばかりのゼ・マリア氏を直撃し、改めて当時を振り返ってもらうとともに、今後の抱負も語ってもらった。(取材=倉石千種) 【写真】「本当に46歳?」 レジェンド中田英寿、衰え感じさせない筋肉質なスマート体型 ◇ ◇ ◇ ――ペルージャの名物会長として知られたルチアーノ・ガウチ氏を追悼するイベントが5月5日にアッシジのウリーボ・スタジアムで開催されましたが、参加していかがでしたか? 「素晴らしいイベントだった。元同僚、監督や友達に会えて嬉しかったよ」 ――中田英寿氏はイベントで不在だったが、どんな選手、人柄だった? 「ヒデは(1996年)アトランタ五輪で対戦して、それから知り合った。1998年のペルージャで、僕は一緒の部屋で最初のルームメイトだった。親切で、優しくて、礼儀正しくて、僕の好きな選手。日本人はみんな礼儀正しいが、ヒデはまさにプロフェッショナル。ヒデはいつも協力してくれた。ピッチ外ではよく冗談も言っていたし、ふざけるけど、ピッチ内でふざけたのは見たことがない。決してピッチ内ではふざけなかったね」 ――あなたはDFを主戦場しながらもゲームメイクをしていたし、中田氏にも良いパスを出していたが、中田氏とのコンビ関係はどうでしたか? 「ヒデは、ボールを持った時も持たない時も、よく思考する選手で、理解し合えていた。それにポルトガル語や英語も話せたから、コミュニケーションも全く問題なく、すぐに呼吸が合ったよ」 ――現役時代のあなたは中田氏と同様、あまりプライベートなことは話さず、真面目で落ち着いた選手でしたね。 「僕は常に、真面目なプロ選手であり、プロフェッショナルであろうと心掛けてきた。人生を楽しむには、よくオーガナイズし準備する必要があるんだ。ヒデとは今も話をするし、僕たちは友達だ。僕の息子が生まれた時も話をした。ヨーロッパで会っているよ。ペルージャで一緒にプレーしたのは6か月程度で、僕はブラジルに戻ってしまったけど、ヒデはとにかく頭がいいという印象だ。サッカーの世界では、あまりヒデのような人は多くは見つからない」 ――「多くは見つからない」というのは? 「ヒデは礼儀正しくて、プロフェッショナル。そして真面目。僕は好きだ。フェノメノ(現象的・怪物/凄い選手)になっても、常にヒデは慎み深く、謙遜心を持っていた。それは難しいことなんだ」