平安時代の庶民が「できなかった」ために苦汁をなめたことって?「現代でも似たようなことがまだ起きてる」
紫式部を中心に平安の女たち、平安の男たちを描いた、大河ドラマ『光る君へ』の第13話が3月31日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。 本放送ではまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)が自らの使命を果たすため、それぞれの場所で動き出します。道長は民の声に耳を傾けるようにと議で意見を述べ、まひろは民に文字を教え始めます。
人権以前の時代だから…平安時代は貴族も民もキケンがいっぱい
『光る君へ』ファンの皆様であればすでにお気付きのように、“平安”時代は文字通りおだやかに暮らせる時代では決してありませんでした。 上流貴族においては衣食住が保証されているものの、勢力争いの当事者になったり、あるいは勢力争いに不本意にも巻き込まれたりすることもありました。 誰を信じてよいのか分からず、親に対してさえも自分は愛情を注がれているのか、それとも“勢力拡大の駒”にすぎないのかといった思いを抱かずにはいられない...。 庶民については貴族社会のような足の引っ張り合いや子どもを勢力拡大の駒にするようなことはなかったものの、キケンだらけの中で暮らしていました。そもそも当時は庶民の人権はないがしろにされていましたし、住まいや食事も貧相なものであり、誰もそれらを問題にはしませんでした。 当時、奴婢(ぬひ)といわれる奴隷身分の人身売買が全国的に行われていました。奴婢の子どもは親と同じく売買の対象として扱われます。平安時代後期には人商人や売買仲人などによる人間の売買も盛んであったといわれています。禁令があったものの、それでも人買いは横行していたのです。 また、他人の田の稲を奪う人や屋敷に忍び込む盗人もいました。高利子貸しや不正な取り立てもすでに存在していたことは記録にも明らかです。 罪を犯した者は罪状によっては獄に入れられるなど刑罰の対象となります。しかし、有力者の口利きによって見逃されるケースもあるなど、犯罪への対応はフェアではありませんでした。 庶民は数少ない権力者が統治する社会の周縁で暮らし、人権の対象外とされ、庶民間でも相手の暮らしを脅かす行為におよぶことさえあったのです。 おどろおどろしい平安時代...貴族の屋敷も宮中も...庶民が住まう区画にも、心穏やかに安心して暮らせる場所はあったのでしょうか。