【国立大の学費問題】授業料3倍でも教育の質は上がらない、英オックスフォード大・苅谷教授「元凶はバイトと就活」
■ 福祉にシフトするか、格差を容認するべきか 苅谷:「経営の自由度を高める」という独法化の本来の目的自体は私は間違っていなかったと思います。法人化して国立大に責任を持ってもらうことで、各校が独自性を打ち出すことを期待したのでしょう。 ただ、歴史の偶然とは怖いもので、独法化した2004年から日本経済の衰退が顕著になり、国の財政も逼迫するようになってしまいました。 国立大学の方も、ある程度の財政基盤を確保した上で自由に活用できるお金が増える、という捉え方をしていたのだと思いますが、その基盤(運営交付金)が毎年少しずつ確実に減らされる結果になってしまった。 ない袖は振れませんから、現在のような国立大の状況になってしまったのは悲劇でしょう。今後、人口が減っていく中で地方の国立大の教員養成課程をどのよう運営していくか、医療従事者を含めたエッセンシャルワーカーをどのように確保していくか、という重要な課題を教育界は突きつけられています。 今さらヨーロッパ大陸のように福祉型の大学運営を目指すことは簡単ではないし、アメリカのように膨大な資金を持つ私立大学とフラグシップとなる州立大学をつくる、というモデルも日本では構築できないでしょう。 独法化の是非以前に、日本の国立大学が果たしてきた役割を、もう一度議論しなければならないタイミングに来ていると思います。 ──そうした中で国立大の家計負担を増やせば、教育の質も向上するとお考えですか。
■ バイトと就活容認しては教育の質など上がらない 苅谷:授業料を3倍にしたからといって、教育の質も3倍上がるかというと、そんなに単純なものでもありません。 教育の質という問題にフォーカスすると、日本にはイギリスやアメリカには見られない独特の慣習が2つあり、それらが大学教育の力を弱めています。 それは学生のアルバイトと就職期間中の授業の中断です。前者に関して、日本では労働市場が学生バイトを安価な労働力としてカウントしていますよね。彼らがアルバイトをする理由は授業料が高いからその足しにするとか、アルバイトという体験を通して自分の成長につなげるとか、さまざまな理由があるのでしょうが、少なくともイギリスでは学生のバイトが授業に集中しなくてもいい免罪符にはなりません。 就職活動に関しても、昨今は、学部生は3年生の夏ごろから本格的にインターンなどするそうで、内定が決まるまでの期間、授業に真剣に取り組む学生は少なくなります。 そもそも、レベルが高い大学教育というのは、1週間に4~6コマの授業を大量のリーディングリストをしっかりこなして、少人数のクラスで綿密にインテンシブに取り組むものです。当然、オックスフォードでもこうした授業に取り組んでいるのですが、アルバイトや就活で授業を中断していたのでは、このように厳しい授業についていけないでしょう。 それと、国立大・私立大含め、日本の大学では非常勤講師に依存しすぎです。経費削減のために非常勤講師を大量に雇い、授業のコマ数を消化させるだけでは教育の質向上など望むべくもありません。それが前述のようなインテンシブなカリキュラムの実施を妨げてもいます。 国立大の学費を上げたとしても、奨学金を返すためにアルバイトに精を出す学生が増えたり、重い負担を取り返すために有名企業への就職を狙い、就活の期間が長引いたりしてしまっては何の意味もありません。