ナイロン100℃『江戸時代の思い出』は観たことのない時代劇になる……!? 三宅弘城×大倉孝二インタビュー
ケラリーノ・サンドロヴィッチ率いるナイロン100℃は1993年の1st SESSION以来、幅広い作風でコンスタントに公演を行ってきた。そして迎えた結成30周年の今年、記念公演第2弾として繰り出す『江戸時代の思い出』は初の時代劇であるらしい。「らしい」というのは、出演する三宅弘城、大倉孝二らもまだKERAの頭の中にあるものを想像するしかない段階だから。とはいえ、いざ幕が上がれば一筋縄ではいかない面白さのある舞台となっていることは、これまでの公演からも明白。観客は「今度は何が飛び出すか」と楽しみに待っていればいい。そして三宅・大倉両氏には、ナイロン100℃について、時代劇の思い出など、さまざまに聞いてみた。 【全ての写真】三宅弘城×大倉孝二のソロカット
“ナイロン100℃初の時代劇”に思うこと
――『江戸時代の思い出』というタイトルを聞いて、どんなことを感じましたか? 三宅 「時代劇をやろうと思ってる」みたいなことはKERAさんが何年か前から言ってたので、「その時はぜひ出たい」と思っていたんですよ。だから「来たな」と思ったし、「いいタイトルだな」と。でも「思い出」っていうことは、(物語の舞台は)江戸時代じゃない可能性もあるかな、とか、江戸時代自体も300年くらいあるけどその中のいつかな、とかいろいろ考えましたね。 ――時代劇をやるなら出たいというのは、どういう気持ちでしょうか。 三宅 時代劇が好きだし、それをナイロン100℃でやるなら一筋縄ではいかないものになるだろうから、そこはぜひやってみたいと思う次第です(笑)。 大倉 僕はね、「おかしなタイトルだなあ」と思いました。それ以外は何もわからないし、「なんなんだろう?」って。 ――どうなるのかあらかじめ想像もつかない舞台ができあがるのがナイロン100℃の興味深いところですが、おふたりには何らかのヒントも提示されてはいない? 三宅 ないですね。チラシにも別に……(手元のチラシを見る)。 大倉 何にも書いてないですね。 ――さてどうなるか、という感じですね。三宅さんは時代劇のどんなところが好きなんでしょうか。 三宅 かつら着けて、現代の言葉じゃないセリフを喋るって、コスプレ的な楽しさがありますよね。しかも地方が舞台だったりすると方言の音源をもらって、そのイントネーションで芝居したりもするので、より非日常的な感覚になります。 大倉 なるほどね。言葉遣いとか所作とか、やらなきゃいけないことが多いし、着物も不自由さを感じることが多いので、僕はちょっと苦手意識があるかも。 三宅 ずっと時代劇を見ていたわけではないけど、(俳優として自身で)やりだしてから、より好きになったんですよね。 大倉 『水戸黄門』に出たことあるんでしたっけ? 三宅 出たよ。 大倉 それはすごいなあ。 三宅 大人計画所属の役者で初めて東映の太秦撮影所に行ったのが僕の『水戸黄門』(2001年)だったんですよ。黄門様役が石坂浩二さんで。金沢の木彫り職人の弟子っていう役で、竜雷太さんがお師匠さんだった。 大倉 子どもの頃は時代劇が今よりもたくさん放送されていたし、何も考えずに見てましたね。 三宅 『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』とかね。 大倉 ちょっと亜流というか、『必殺!』シリーズとか『影の軍団』とか、時代劇の形はしてるけど何でもありなんじゃないかっていう感じがする。 三宅 『子連れ狼』とかもそうだね。 大倉 西部劇みたいですもんね。これを観たのは大人になってからですけど、映画の『必殺4 恨みはらします』(1987年)は千葉真一さんと蟹江敬三さんのセットとかバンバンぶっ壊す派手な戦いが印象に残ってますね。 三宅 黒澤明だって、シェイクスピアを時代劇でやってるしね。『蜘蛛巣城』(1957年)とかも、あれは。 大倉 『マクベス』。 三宅 そうそう。その逆で、『七人の侍』(1954年)が海外で『荒野の七人』(1960年)になったりもするし。 大倉 18~19歳の頃、池袋文芸坐のレイトショーで黒澤時代劇は結構観ましたね。 ――やっぱり多かれ少なかれ、見てるし通ってきてる部分はあるわけですね。 大倉 とりあえず、修学旅行に行くと(お土産物屋で)木刀を買ってた世代です。