習近平主席がヨーロッパ3国を訪問~東欧に映るウクライナ戦争への思惑
■ハンガリーはヨーロッパ戦略の「入り口」 習近平主席の最後の訪問国はハンガリー。ここも中国との関係が緊密だ。ハンガリーもほかの東欧諸国同様、旧ソ連の衛星国から生まれ変わり、自由という価値観を取り戻した国だが、現在の指導者、オルバン首相は長期政権を続けるともに、強権的な手法を隠さない。ある意味、習近平氏と似た指導者といえる。 やはり、ハンガリーでも「一帯一路」プロジェクトが進み、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパにおいて、中国企業が最も投資している国がこのハンガリーだ。中国のヨーロッパ戦略の「入り口」という表現をしてもよい。 この3か国の中で、習近平主席の訪問先として、メディアのもっとも注目度が高いのはフランスのように思える。マクロン大統領との首脳会談、それにEU(欧州連合)のフォンデアライエン欧州委員長を交えての三者会談の報道が目についた。そんな中で、私はフランスではなく、セルビア、ハンガリーへの訪問が気になった。 セルビアの人口は680万人。ハンガリーの人口は960万人。フランスに比べて、国力は圧倒的に小さな国だが、なぜ、この二つの国へ習主席は行ったのか。経済関係も大切だが、一方で、ウクライナとロシアの戦争の影がくっきり浮かび上がる。 ■セルビアの惨事から25年の節目 まずセルビアについて話したい。バルカン半島に、かつてユーゴスラビアという国が存在した。セルビアを含む連邦体としてユーゴは構成されていたが、解体された。民族、宗教が異なり、モザイク国家と呼ばれたユーゴスラビアが解体された原因こそ、この民族、宗教紛争だった。 現在のセルビアの形になったのは2006年。首都はユーゴ時代からベオグラードだ。ユーゴ紛争当時の1999年、NATO(北大西洋条約機構)の主力であるアメリカの戦闘機がベオグラードにあった中国大使館を誤って爆撃するという事件が起きた。建物は破壊され、中にいた中国の国営通信社の記者3人が犠牲になっている。