「裸でしか会わない」60代友人の正体がすごかった!更年期の心に元気をくれた人生の先輩の言葉【住吉美紀】
銭湯に通うようになって8年。今や欠かせない日課となり、定休日以外、週6で通っている。入浴ルーチンも分単位まで仕上がっている。脱衣所で45秒で服を脱ぎ、まず体を洗う。熱い風呂と水風呂3往復、それぞれ何カウントずつかも決まっており、共にストレッチのルーチンもある。上がって身体を拭いて服を着るのに2分で、毎日ピッタリ35分だ。 喉が渇いたまま帰宅し、お気に入りの岩手産リンゴジュースを冷えた炭酸水で割って、まるでビール好き人間のあの瞬間のように、手を腰に当て「ぷふぁ!」と喉を潤す。最高である。これで、酷く疲れた日も、だるさが抜けない日も、麗しく体調が整う。夜に銭湯が待っていると思えば憂鬱な日もがんばれる。銭湯がない海外にはもう住めないかも、というのが唯一の悩みだ。 そして、肉体的心地よさ以外にも、銭湯が私の特別な場所になっている理由がある。それは、裸の付き合いの「銭湯友達」の存在。比喩的にではなく、本当に文字通り、裸でしか会ったことのない友人だ。
毎日同じくらいの時間に通っていると、同じく毎日のように通うメンバーと、あの人また来てるな、と顔馴染みになってくる。私は仕事以外の場では人見知りなので自分からは声をかけられずにいるが、社交的な方が話しかけてくれたりする。すると次からは挨拶をするようになり、少しずつ話も広がる。子育てをしていないと地元コミュニティに知り合いが出来にくいと感じていたが、私は銭湯のおかげで、比較的長いお付き合いになってきている人が二人いる。 ひとりは、同い年のLさん。ひとり暮らしの会社員で、近所の美味しいお店に詳しい。水温の低い水風呂を求めて色々なお湯に足を運んでいて、都内のおすすめ銭湯情報も教えてくれる。そして、Lさんとは、コロナ禍で外出できない時期にもお風呂で会えていた数少ない人同士、不安を分かち合った仲でもある。薬局で売り切れた解熱鎮痛剤を彼女に分けて差し上げたり、コロナ禍が収まってきて旅が叶った時には、彼女から喜びのお裾分けとしてお土産をいただいたりしたこともある。 もうひとりは、ひと回り以上年上のMさん。脚が長くてシュッとしていて、話す口調がゆっくり穏やかな60代。“夫”ではなく“パートナー”と言い直すので、多分結婚せずに一緒に暮らしている相方がいらっしゃる。子どもはおらず、ネコが1匹。銭湯の隣の地区の出身で、今も近所に住んでいる、ザ・地元っ子だ。 健康への意識が非常に高く、パートナーと歩くのが趣味。最初は「川沿いを4時間歩いた」とか「公園から家まで10キロ歩いた」とか、そんな他愛のない会話が中心だった。というか、銭湯では、適度な距離感を保つのもマナーのうちだ。 ところが、ある日、いつもより遅い時間にいらしたので「きょうは遅めですね」と声を掛けたところ、 「そうなの、丸一日、AIのイベントの仕事で。疲れちゃった。」 ん? AI?! そういえばMさんの仕事についてまったく知らなかった。というか、悠々自適に過ごしている雰囲気だったから、仕事はしていないかもと思っていた。 「AIのイベント、ですか?」と聞き直してみた。 「そうなの、海外のAIスタートアップ企業が日本でビジネスマッチングするのをサポートする仕事を請け負っていてね。内閣府も関係しているプロジェクトなのだけど、最近件数が増えているから結構忙しいの」 えっ。ほんわかしたMさんの雰囲気からは想像していなかった言葉の連発に、まずびっくり。どういうことですか、と根掘り葉掘り聞いてみると、実はすごい経歴の方だった。 Mさんは、1980年代、いわゆる第二次AIブームと言われる時代にアメリカに留学。インフォメーションサイエンス(情報科学)で学位を取り、そのまま日本の大手電機企業のアメリカ法人に就職。働きながら、コロンビア大学で、AIをテーマにコンピューターサイエンスの修士号を取得。バリバリの理系だ。 帰国してからもすごい。東京証券取引所に、外資系証券会社が本格進出する時期に、そのための東証のITシステムを作る仕事の中核を担った。さらに、1996年の薬事法改正後、臨床試験の基準に関する省令が出たのを機に、外資系製薬会社が日本の決まりに沿って臨床試験や開発ができるようサポートする窓口的な仕事もしてきたそうだ。仕事の規模が大きく、驚くばかり。裸のMさんに後光が差して見えた。
住吉 美紀