捨て子だった女性が、無戸籍のまま過ごした70年 やっと手に入れた「家族」との日々も、死後は身元不明の無縁仏に
橿本さんが教会に来た当初は、家庭生活の経験がなく、精神科病院で長期間入院していた過去のためか、何かと言えば病院で生活したがった。そのため、10年ほどは精神科の神出病院(神戸市西区)に入院しつつ、たまに教会に帰る生活を続けていたという。門口守子さんの義娘で、共に教会で暮らした幸代さん(60)は、こう振り返る。「手持ちのお金が全部なくなって入院できなくなってから、落ち着いて教会にいられるようになりましたね」。日中は事業所に送迎してもらい、ラスクの袋詰め作業に従事した。 橿本さんの好物はジュースとコーヒーで、よくねだっていたという。教会の行事で旅行に行くことも楽しみにしていた。「芳江ちゃんは、たまに仕事を休みがちになるときもあったんですが、行事の前は休んだら連れて行ってもらえへんと思って一生懸命、仕事を頑張るようなおちゃめな一面がありましたね」と、「まほろば」事務局長の中川さんも思い出を語る。口数少ないものの、周囲からは好かれていた。門口さんのことは母親のように感じており、時々、お風呂で体を洗ってもらうこともあったという。中川さんは言う。
「身びいきかもしれませんが、ここにいたことで、いい人生が送れたんじゃないかって思います」 ▽無縁仏に 今年2月10日、昼食の時間になっても橿本さんが部屋から出てこず、不審に思った同居人が様子を見に行くと、すでに事切れていた。外は10度以下の肌寒さで、時々冷たい雨が降った日だった。死因は心不全とみられるという診断だった。 駆けつけた警察官から「本籍はどこですか」と尋ねられ、門口さんたちが改めて過去の記録を調べると、どこにも記載がなかったことに気づいた。そこで警察が調査することになったが、結局「橿本芳江」という人物の戸籍は見つからず、身元不明の「行旅死亡人」として官報に掲載されることになった。死後、銀行口座などに400万円近い貯金が残されたが、ほとんどが障害年金だという。今後、国庫に編入される見込みだ。 行旅死亡人として行政の手で火葬されてしまったら、遺骨は原則、相続人となった親族しか引き取ることができない。橿本さんと暮らした人々は誰も、彼女が無戸籍だった事実を把握していなかった。